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卓球女子日本代表 石川 佳純

卓球女子日本代表
石川 佳純

 
1993年、山口県生まれ。卓球選手の両親に育てられ、自身も7歳で競技を開始。練習期間わずか3ヶ月で全日本選手権(小学2年生以下の部)の県予選を突破し、才能の片鱗を見せる。その後も自宅の卓球場で母の指導を受けながら成長し、高校時代はインターハイ3連覇をはじめ学生タイトルを総なめ。3年生時には全日本選手権の女子シングルスでも初優勝を果たす。2012年のロンドン五輪では女子シングルスでベスト4、女子団体では銅メダル獲得と、いずれも日本卓球界初の快挙を達成。続くリオデジャネイロ五輪ではエースとして女子団体で銀メダル獲得に貢献、自国開催の東京五輪では日本選手団の副主将も務めながら女子団体3大会連続のメダル獲得を牽引する。現在は競技に打ち込みつつ、全国を行脚する「サンクスツアー」も企画し、卓球の魅力を伝える活動にも尽力している。

2012年のロンドン五輪、2016年のリオデジャネイロ五輪、そして2021年の東京五輪と、3大会連続での五輪出場を果たし、そのすべてでメダル獲得の偉業を達成した、日本女子卓球界のエース・石川佳純さん。有力な若手選手が次々と台頭し、競技自体も目まぐるしく進化し続ける中で、石川さんは己のプレースタイルや考え方に固執することなく、常に“アップデート”を繰り返すことでトップフォームを維持してきた。その比類なき対応力が培われた卓球人生に迫るインタビュー。

 

ラケットを握るとすぐに開花した才能

2012年のロンドン五輪以降、獲得したメダルは8つ、2021年の東京五輪では混合ダブルスで金メダルを獲得するなど、近年の躍進が目覚ましい日本卓球界。トップで活躍する選手の多くは幼少期から猛練習を積む“英才教育”を受け、物心つく前にラケットを握っていることもあるほどだ。日本女子チームを長年にわたってけん引し続けている石川佳純さんもその中の1人。競技開始は7歳と、比較的“遅め”ながら、そこから才能を開花させるまでの速度が圧倒的だった。

「両親が卓球選手として活動していたので、私も3歳くらいから試合の会場には付いて行っていましたね。でも、正直その頃は卓球に興味がなくて、お絵描きとか、普通に遊んでいるほうが好きでした。水泳やバレエなど、習い事もしてみたものの、なかなか続かず――そんな時、両親の練習終わりにふと“やってみようかな”という気持ちが湧いてきて、卓球台の前に行ってみたんです。最初はラリーを続けるのもやっとで、すぐ楽しいとは思えなかったのですが、両親が熱心に教えてくれて、始めてたった3ヶ月で小学2年生以下の全国大会予選に出ることになりました(笑)。わけもわからず出場したところ、何と予選を通過して、本戦まで進むことができて···。そこで、初めて真剣に卓球をやろうと思えたんです」

競技開始3ヶ月で全国大会の予選を突破。その素質に大いなる可能性を感じた石川さんの両親は、自宅に卓球場をつくった。その熱意にも後押しされながら、石川さんは卓球選手としてメキメキと成長し、小学6年生の時には、全日本選手権で高校生や大学生を相手に勝利を収めるまでになっていた。

「家に卓球場ができた時はさすがにびっくりしました(笑)。でも、それだけ期待してくれているんだと思うと嬉しかったですし、頑張ろうというモチベーションになりましたね。母が卓球教室を開いてからは私も生徒として毎日のように練習して、大会にもたくさん出場する中で腕を磨いていったんです。当時はまだ明確な目標は定めていませんでしたが、卓球選手として強くなりたい、という思いは抱いていたので、中学校に上がるタイミングで地元の山口を離れ、大阪の卓球名門校・四天王寺羽曳丘中学校に入学することになりました」

 

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