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巻頭企画天馬空を行く

セーリング日本代表 髙野 芹奈 × セーリング日本代表 山崎 アンナ

セーリング日本代表
髙野 芹奈 × 山崎 アンナ

 
1998年、大阪府生まれ。小学校~中学校では水泳に打ち込み、中学3年の秋にクラスメイトの田中美紗樹氏に誘われたことがきっかけでセーリングを始める。関西大学第一高等学校に進学し、2014年にはインターハイのFJ級で準優勝、2015年の420級世界選手権大会では女子総合3位に入るなど短期間で頭角を現す。その後「49erFX級」に移り、2016年のアジア選手権を制したことで、リオデジャネイロオリンピックの日本代表に選出。日本セーリング史上最年少となる18歳で五輪出場を果たす。2017年からは山崎アンナ氏とペアを結成。国内トップの座を走り続け、東京オリンピックにも出場する。2021年からは世界最高峰のプロリーグ「SailGP」にも参戦するなど、さらなる高みを目指して活動の幅を広げている。
 

山崎 アンナ
1999年、神奈川県生まれ。兄の影響で7歳からセーリングを始め、レースの中で自分の成長を感じられることに魅力を見いだす。青山学院初等部に入学後、高等部2年まで在籍し、日本体育大学へ飛び入学。2015年にはJOCジュニアオリンピックカップ女子レーザー4.7級で優勝する。2017年から「49erFX級」で髙野芹奈氏とペアを結成し、同年のジュニアワールド選手権で銀メダルを獲得。2021年には東京オリンピックの日本代表として自身初となる五輪出場も果たす。髙野氏も高い信頼を置くセーリングの技術と知識を持ち、船上ではキャプテンとして正確な指示出しを行う「スキッパー」の役割を担う。2022年からは髙野氏と同じく「SailGP」に参戦し、2024年のパリオリンピックに向けてレベルアップを図っている。
 

 

2017年にペアを結成し、日本女子セーリング界のトップを走っている髙野芹奈氏・山崎アンナ氏。結成年のジュニアワールド選手権で銀メダルを獲得、その後も4年連続での世界選手権出場や東京オリンピック出場を果たすなど、競技者としての実力が折り紙付きであることはもちろん、常に明るく姉妹のように笑い合っている人間性もファンの心をつかんでいる。共にまだ20代前半、実績豊富ながら将来性もある2人ならではの視点で、セーリングの魅力と競技に懸ける思いについて余すところなく語り尽くしてもらうインタビュー。

 

若き2人のセーラー、その原点

 
大海原にヨットを浮かべ、風の力だけを頼りに目的地へ素早く正確にたどり着くことを目指す競技、セーリング。その中でもとりわけ高速で船を操り、「海のF1」とも呼ばれる「49erFX級」で、若くして日本代表の座を勝ち取っているのが、髙野芹奈氏、山崎アンナ氏のペアだ。本物の姉妹のように親しく、快活な振る舞いから“アンセナ”の愛称でファンの心をつかんでいる2人は、日本セーリング界の未来を背負って立つ希望の星でもある。ペアを組んで初めて船に乗った時からフィーリングはぴったり、互いに尊敬し合っているという両氏。しかし、セーリングそのものとの出合いは、思いがけず対照的なものだった。
 
髙野 私は小学生から中学生まで水泳に打ち込んでいて、同世代の中では体力も運動神経もあるほうでした。中学3年の秋に最後の大会を終えてしばらく経ったある日、クラスメイトでヨット競技をしていた子から「一緒にやってみない?」と声を掛けられて。私も高校では何か新しいことを始めたいな、と考えていたので、「絶対に行きたい!」と食いついて(笑)、西宮市にあるヨットハーバーへ行ってみたんです。そこで、エンジンもなく風だけで船がすいすいと進んでいく姿に感動した私は、あっという間に魅力に引きこまれてしまって、その日のうちに「これをやろう!」と心を決めました。当時は勝負したいという気持ちより、ジェットコースターのようなアトラクションを楽しんでいる感覚でしたね。
山崎 私は兄の影響で7歳からセーリングを始めたのですが、最初はとにかく海が怖くて···。風が吹くたびにバタバタと大きな音を立てる帆が余計に恐怖心を掻き立てて、船上で泣いてしまうこともしばしばありました(笑)。それでも、レースに出る回数が増えるにつれて、自分のレベルを確かめたり、上達を実感できたりする部分に魅力を感じるようになって、そのための「手段」としてセーリングを楽しみ始めたんです。
 
風に乗って海を進む純粋な気持ち良さ、勝負事に身を投じることで成長できる楽しさ――それぞれにセーリングの魅力を感じた2人は、必然的に競技に打ち込んでいくことになる。
 
髙野 私の場合は、最初に誘ってくれた子が当時からセーリング競技で活躍していて、2人乗りに転向する際の相方として私のことを見てくれていたため、やると決めたその日から週末は全部練習でしたし、大会にもどんどん出場するようになったので、そういう意味では最初から“本格的”でしたね。私自身、それに対してつらくなることは一度もなく、むしろチャレンジしたい気持ちが高まっていったので、本当にセーリングとは運命的な出合いだったんだと思います。
山崎 私は、10歳の時に出場したレースで、初めて屈辱的な敗北を味わうことになって。地団太を踏んで泣くほど悔しい思いをして、そこから本気で競技と向き合うようになったんです。こうやって思い返すと、私は「勝ち負け」の経験が転機になっていることが多いですね。

“勢い”を武器に出場したリオ五輪

2015年から「49erFX級」に移り、さらに成長を加速させた髙野氏は、競技開始から3年半という異例のキャリアで、日本セーリング史上最年少となる18歳でのリオデジャネイロオリンピック出場を実現させる。これほど短期間で急成長できた要因は、どこにあったのだろうか。
 
髙野 一言で言えば、当時の私には勢いがあったのだと思います。正直、技術面が突出して高いわけではなかったのですが、絶対にやりたい、五輪に出たいという一心で、ひたすら練習したり、家族にプレゼンしたり、できることを全部していたんです。周囲の人も、最初はそんな私の姿に圧倒されていたものの(笑)、次第に理解を示してくれて、サポートしていただけるようになりました。
山崎 実は私たちがお互いに知り合ったのもその頃なんです。私が高校1年生で「49erFX級」に乗り始めてから、和歌山の練習場で見かけてあいさつを交わすようになって。当時の芹奈ちゃんはちょうどオリンピック出場に向けてがむしゃらに練習している最中だったので、見ているこちらが怖くなってしまうほどの気迫だったことを覚えています。
 
リオ五輪では、12歳年上の宮川惠子氏とペアを組んで出場した髙野氏。大先輩と共に世界最高峰の舞台で戦ったことで、多くの学びがあったという。
 
髙野 体力的にも技術的にも足りない部分があるのはわかっていたので、結果どうこうよりまずはオリンピックの舞台に立てたことを幸運に思っていました。これまでは自分の感覚に頼って操っていたところも、プロとして競技を続けるには「どうすれば船がどう反応するのか」「失敗しないためには何をすれば良いのか」というところまで考えて、反復の中で覚える必要があると痛感して――宮川さんはその過程を教えてくださり、それがまた前へ進むきっかけになりましたね。
山崎 リオ五輪での芹奈ちゃんの活躍は私も見ていました。私自身、世界最大のスポーツの祭典であるオリンピックにはずっと憧れがありましたし、セーリング競技は狭い世界で、芹奈ちゃんだけでなく知り合いが何人もオリンピックに出場しているのを見てきたので、「私も出たい」という気持ちがどんどん強くなっていきましたね。

 

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