巻頭企画 天馬空を行く

FC.ISE-SHIMA 理事長兼監督  小倉 隆史

小倉 隆史

TAKASHI OGURA
1973年、三重県鈴鹿市出身。四日市中央工業高校ではエースストライカーとして活躍し、3年生の時に第70回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。その翌年の1992年に名古屋グランパスエイトに入団した。1993年にはオランダ2部リーグのエクセルシオールへレンタル移籍し、チーム得点王となる活躍を見せる。帰国後にパウロ・ロベルト・ファルカン監督率いる日本代表に選ばれ、アトランタ五輪予選でもエースとして本戦出場に大きく貢献した。引退後はテレビ番組「スーパーサッカー」「NEWS23」などに出演し、解説者として人気を博す。2016シーズンには名古屋グランパスエイトのゼネラルマネジャー兼監督を務めた。その後、東海社会人サッカーリーグに所属するFC.ISE-SHIMAの理事長兼監督に就任し、活躍の幅を増やしている。
 
 

社会人サッカークラブFC.ISE-SHIMAの理事長兼監督を務め、本誌ではゲストインタビュアとしておなじみの小倉隆史氏。現役時代は左足で強烈なシュートを放ち、「レフティーモンスター」と呼ばれた天才ストライカーだった。10代でオランダに渡り、「将来は日本代表の中心選手」と期待された小倉氏は、その後、選手生命を奪いかねない重傷を負う。絶望を味わったリハビリのことから、サッカー選手に必要な「人間力」、日本代表へのエールまで、現役監督であり名解説者でもあった同氏ならではの切り口で存分に語ってもらった。

 

野球からサッカーに転じた少年時代

現役プレーヤー、解説者、監督と、サッカー一筋の人生を歩んできたかに見える小倉氏だが、意外にも最初に夢中になったスポーツは野球だったという。まずはサッカーを始めたきっかけから話してもらった。

「私には4歳上の兄がいて、その兄は野球をしていました。さらには父もまた、ママさんソフトボールの監督を務めるなど、野球かいわいに携わってきた人だったんです。その影響で私も、幼稚園の頃から兄とキャッチボールをしたり、新聞や広告を丸めてボールをつくったり、父が木を切ってバットをつくってくれたりして、野球に興じていました。それがサッカーに転じたきっかけは、父の勧めによるものだったんです。私が小学校1年生の夏に、地元の少年サッカーチームが三重県代表として全日本少年サッカー大会に出場しました。一方、野球チームには4年生からでないと入れなかったこともあり、『足腰も鍛えられるし、サッカーをやってみるか?』と父に言われて始めたのです。以降は、小学校3年生の時に6年生のチームでプレーをするなどサッカーがだんだんおもしろくなっていったので、迷うことなくひたすらサッカーに打ち込みましたね」

全国高校サッカー選手権で悲願の初優勝

高校は、サッカーの名門校である四日市中央工業高校に進学。3年生の時にエースとして全国高等学校サッカー選手権大会を制したことで(帝京高校との両校同時優勝)、小倉氏のサッカー人生は大きな転機を迎えることになる。

「現在では、小・中・高のサッカー少年たちにはJリーグもあれば、海外でプレーする道もありますし、日本代表もワールドカップの常連国という状況ですが、私が高校生の頃はまったく違っていました。高校2年生の時にようやくJリーグの発足がアナウンスされたところでしたし、海外のサッカーを目にする機会も4年に1度のワールドカップや、サッカー情報番組をテレビで見るくらいしかなかった。ただ、いまや世界的な人気漫画となった『キャプテン翼』を読みながら育ったこともあり、漠然とプロは海外でプレーをするものだというイメージを持っていたんです。そんな時代でしたので、全国高等学校サッカー選手権大会というのは、サッカーをやっている少年であれば誰もが最初に目指すべき目標でした。野球少年が甲子園を目指すように、準決勝以降の舞台となる国立競技場を目指し、さらには優勝を勝ち取る―それがまず私の夢でしたね。サッカーをするうえで良いモチベーションにもなりましたし、その目標を達成するために毎日厳しい練習に取り組んでいたんです。あのような経験はもう2度とできません。四日市中央工業高校は全国高校総体で優勝したことはあっても、高校選手権はそれまで準優勝止まりだったので、帝京高校との同時優勝ではありましたが、1回戦から苦労しながら悲願である初優勝を成し遂げたことで安堵しました」

Jリーグが始まった年にオランダへ移籍

Jリーグ誕生前夜である1992年に名古屋グランパスエイトへ入団。その翌年にはオランダの2部リーグ、エクセルシオールへレンタル移籍を果たすことになる。当時はまだ海外でプレーしている日本人選手は少なく、小倉氏のオランダ移籍は話題になった。

「名古屋グランパスエイトの他にも何チームかからオファーをいただきました。先ほどもお話ししましたように、私の中ではプロといえば海外でプレーするものというイメージが強かったのですが、Jリーグができる前はどうやって海外に行けばいいのかわかりませんでした。それがたまたまタイミングよく1993年にJリーグが始まったことによって現実的なものになったんです。お声がけいただいたすべてのクラブチームに『入団したら海外留学をさせてもらえますか?』と質問したところ、名古屋グランパスエイト初代監督の平木隆三氏が『海外に行きたいのであれば、1年でも2年でも行ってくればいい』と言ってくださったんです。そのような返答をいただけたのは、名古屋グランパスエイトだけでした。それであれば、ということで名古屋グランパスエイトに入団することを決めたんです。オランダに渡り、最初に入ったのは名門フェイエノールトでした。しかし当時、サッカーに関しては日本と海外をつなぐ体制がまだ整っておらず、ビザもなければ住むところもなく、そのためにチーム登録さえできなかったんです。当時、フェイエノールトでゼネラルマネジャーを務めていたのが、後にサンフレッチェ広島の監督になり、最近お亡くなりになったビム・ヤンセン氏でした。彼から『君のような20歳くらいの選手は試合に出場しないと成長できないが、うちのチームではそれをかなえてあげることはできない。日本に帰ったほうがいいのではないか。どうしても海外でプレーしたいならエクセルシオールを紹介してあげるからテストを受けてみてはどうだ』と言われたんです。それで練習試合に参加したところ、私のプレーを見ていた監督から『うちにきてほしい』と言っていただき、半ば試験に合格する形でエクセルシオールに入団しました。トータル1年半ほどオランダでプレーをしたことになります。日本とは練習場のコンディションも違えば、各選手の体格や身体能力も異なるので、肌感覚でいろいろと経験できたのは大きかったですし、戦術面でも学ぶことは多かったですね。実戦で手ごたえもつかめ、リーグ戦では15点を挙げて得点王争いに加わることもできました。また、向こうで生活することで日本を外から見る視点も生まれましたし、母国では当たり前のことが外国ではそうではないという事実を若くして感じることができたのは、とても良い経験になったと思います」

選手生命を奪いかねない大ケガを経験

オランダから帰国後に小倉氏は日本代表に選出され、アトランタ五輪予選でもエースとして本戦出場に大きく貢献。だが1996年2月、五輪代表合宿中に右足後十字靱帯を断裂する重症を負うことになる。アスリートにケガはつきものとは言われるが、同氏の場合はその影響が特に甚大だった。選手生命を奪いかねない過酷な状況をどのようにして乗り越えていったのだろうか。

「言ってみれば交通事故に遭ったのと同じようなレベルの大ケガだったので、まず元の常態に戻すのが大変でした。当時日本では後十字靱帯を触れる人はおらず、日本での手術は失敗に終わったんです。それから約1年後にオランダに行って再手術をしました。サッカー選手としては足に2度のメスが入っているのは致命的ですし、そのせいで軟骨を痛めたということもあり、あのケガ以降、私は得意だった左斜め45度から逆サイドへ向けてのシュートを打てなくなってしまったんです。まず8ヶ月、そのあとオランダで1年半リハビリを行いましたが、その時は本当にきつかったですね。特に最初の3ヶ月は『軟骨が元に戻らなければサッカーをやめなければいけない』と言われていた状況だったので、たとえ空が晴れていても、心の中は曇っているような毎日でした。オランダでは誰もいないホテルに夜1人でいたこともあり、『何で生まれてきたのだろう』『どうして自分はサッカーを選んだのだろう』など、自問自答を繰り返していましたね。でも、そんなつらい日々を送る中で『やっぱりピッチに戻りたい』という気持ちが沸き上がってきたんです。同時に、高校選手権で優勝して知名度が上がって以降の己を顧みて、『多くの人からどのように見られているか』といった自意識など、私にとって無駄なものが多かったことにも気付かされました。それらをそぎ落とし、根本に立ち返ることで、自分がやるべきことや本当に必要なものが明確に見えてきたのが、あのリハビリ期間だったんです」

 

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