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巻頭企画天馬空を行く

 

常識を超えていく大谷翔平選手のすごさ

現役時代は日本野球界を代表するスター選手の1人だった高橋氏だが、メジャーリーグでプレーしてみたいという思いはなかったのだろうか。併せて、同じ左打者で「天才バッター」と評され、若くして脚光を浴びたことなど、同氏と多くの共通点を持つ大谷翔平選手の活躍についても聞いてみた。

「メジャーリーグでプレーしたいという気持ちはあまりありませんでしたね。私の現役時代ですと、イチローさんが2000年にメジャーリーグに移籍し、その2年後に松井秀喜さんもメジャーに行かれました。ただ、彼らはいずれも一緒にプレーをしていて『自分とは少し格が違うな』という印象を持った選手でしたし、当時はまだメジャーリーグについて具体的なイメージが湧かなかったんです。もしかしたら、子どもの頃にプロ野球が遠い世界のことのように感じていたのと似た気持ちだったのかもしれません。ただ、引退して初めて仕事でメジャーリーグのキャンプに行かせてもらったり、現地で試合を見させてもらったりした時に、『もっと早くこうした光景を自分の目で見て、現場の雰囲気を体感していたら、また違った感情を抱いていたかもしれない』と思うようになりました。そのことを松井秀喜さんに話したら、彼も2000年のワールドシリーズを現地で見た際に、メジャーリーグでプレーしたいという気持ちが芽生えたとおっしゃったんです。大谷選手に関しては『すごい』の一言ですね。現役時代、彼とはプレーをした時期が少し重なりましたし、巨人の監督を務めていた時に、相手チームで投げている姿や打っている姿を目にし、『これは普通の選手とはものが違うな』とは感じていました。ただ、メジャーリーグという未知の領域でどこまでできるのかというのは正直、わからなかった。大谷選手には、そうした私たちの固定観念を、淡々としたプレーや表情で超えていくすごさがありますね。これまでは、ピッチャーとして投げることと、バッターとして打つことは別ものという常識がプロ野球にはありましたが、彼はその2つを分けず、それらが一体となったものが本来の野球の形であるということを体現しているんです。彼の活躍は、日本の野球関係者や野球ファンのみならず、世界の野球の常識までも変えたと思います」

プロ野球選手に必要な2つの目標設定

「常に全力でプレーする」「日頃から人一倍ハードな練習量をこなす」など、高橋氏はプロ野球界の中でも非常に「プロ意識」の高い選手だったと言える。そんな同氏に、さまざまあるであろうことを承知のうえで、「プロ野球選手」に最も必要な要素とは何なのかを質問してみた。

「やはり、ベースとなるのは体力や身体的な強さになります。そのことを踏まえて言いますと・・・当然、チームスポーツなので試合に勝つことは大前提ですが、それとはまた別に個人の成績も大事になってくるわけです。その両方を、矛盾することなくうまく目標設定していく必要がある。プロ野球に関しては、たとえチームが勝利しても自分が打てなければ監督に使ってもらえない世界ですから、まず試合に勝つことが目標になるものの、それがすべてというわけではないんです。昔、イチローさんが『チームが試合に敗れたので自分がヒットを打っても意味がなかった、と口にする選手がいるがまったくそんなことはない』とおっしゃっていましたが、私も完全に同意見です。プロですから個人の成績も大事ですし、自分に期待してくれたファンに良いプレーを見せるということも重要です。私はチームのためと思ってプレーしていましたし、同時に自分自身のためとも思いながらいつも試合に臨んでいました。バランスを取りながら、その2つの目標を上手に設定することがプロ野球選手には必要ですし、そこがプロとアマチュアとで心構えの異なる部分だと思いますね」

プロの在り方を教えてくれた長嶋監督

弊誌2021年3月号で表紙を飾っていただいた駒田徳広氏は、巻頭インタビューの中で、巨人時代に藤田元司監督からさまざまな面で影響を受けたと語っていた。高橋氏が特に影響を受けた監督や指導者は誰なのだろうか。

「根本的な人間形成などの部分では、アマチュア・学生時代の監督から受けた影響は大きかったと思います。他方、私がプロになってから最初の監督だった長嶋茂雄さんからは、先ほどお話しした『応援してくれるファンたちの期待に応えるプレーをすること』が試合に勝つのと同じくらい重要であることを教わったんです。そういう意味で、長嶋監督からは『プロ野球選手としての在り方』のようなものを大いに学ばせてもらいましたね。私は今でも、ファンの期待に応えることはプロ野球選手にとって非常に大事な要素の1つだと考えています。そのような観点で言えば、北海道日本ハムファイターズの監督に就任して何かと話題になっている新庄剛志さんも、プロ野球ファンの期待に応えようとしているその姿勢は素晴らしいと感じますね」

多くのことに気付かされた監督時代

高橋氏は2015年に現役を引退すると同時に、巨人の第18代監督に就任した。現役引退からすぐに監督に就任したのは、巨人では1975年の長嶋茂雄氏に次いで2人目。しかも、チーム力が低下し成績も落ちてきている中での就任だったために苦労も多かったはずだ。監督になって難しかったこと、また、就任前のイメージと違っていたことについてうかがった。

「イメージという点に関しては、先ほどお話ししたメジャーリーグとも通じることですが、その場に立ってみないとわからないことがたくさんあるなと感じました。実際に監督になってみると、選手の時に目にしていた監督の姿とはあらゆる面で違っていたので。それから、想像していた以上に『自分でプレーするほうが楽だな』とも思いました(笑)。選手時代は自分で自分をコントロールしながら日々さまざまなことを消化できましたが、組織の上に立って人を動かしていく監督というポジションだと自分1人ではなかなかコントロールできないことのほうが多いんです。そういった難しさはありましたが、巨人の監督として多くの人の期待に何とか応えようと必死にやっていたとは思います。例えば、当時でいえば岡本和真らの育成というミッションもありましたが、私に与えられた仕事はそれだけではなかった。若い選手を育てるという仕事は、毎年継続して行わなければいけないことなんです。目の前の試合に勝つことと、選手を育成しチームを強化していくことを両立させながら、その時の自分ができる最善のことを行ったつもりではいます。残念ながら誇れるほどの結果を残すことはできませんでしたが、こればかりはやってみないとわからないことですし、実際に監督の仕事をしてみて『なるほど』と気付かされることも多かったですね。その意味では本当にいい経験をさせてもらいました」

 

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