巻頭企画 天馬空を行く

女優 田中 道子

田中 道子
MICHIKO TANAKA

1989年8月24日生まれ。静岡県浜松市出身。オスカープロモーション所属。2013年に「ミス・ワールド 世界大会」の日本代表に選出される。モデルやバラエティ番組のリポーターとして活躍する一方、2016年に「ドクターX~外科医・大門未知子~」で才色兼備な秘書役を演じ、女優デビュー。2018年にはNHK大河ドラマ「西郷どん」で給仕のタマ役を演じ、大きな注目を集めた。以降も、「偽装不倫」「この男は人生最大の過ちです」「極主夫道」「君と世界が終わる日に」など、多くのテレビドラマに出演している。大学では建築学を専攻し、二級建築士の資格を取得。さらにピアノ・ハープ演奏や絵画制作も得意とし、「第104回二科展」絵画部で初出展初入選を果たすなど、多彩な芸術的才能を持つ。

2016年に女優デビューを果たして以降、数々のテレビドラマに出演し、知的でクールな女性や、感情をまったく表さない鑑識官などの特異な役を演じてきた田中道子氏。「ミス・ワールド 世界大会」日本代表にも選出されたその美貌と、多彩な芸術的才能を兼ね備えた同氏だが、芸能活動を始めてしばらくは、外見と性格のギャップなどの葛藤を抱えていたという。インタビューでは、大きな転機となった「ミス・ワールド 世界大会」出場のことや、モデルと女優の仕事の違いなどについて、飾りのない真摯な言葉で語ってくれた。

 

とても内向的だった子ども時代

9頭身のスタイルを誇り、都会的でスタイリッシュなイメージのある田中氏だが、幼少期は静岡県の田舎町で育ち、現在の印象からは想像できないような子ども時代を送っていたという。

「いま私のことを知ってくださっている方に話すと驚かれるのですが、分厚いレンズの眼鏡をかけた、すごく内向的な子どもでした。父が教師ということもあり、けっこう真面目な家庭で、父はよく図書館に連れて行ってくれていたんです。1人で過ごす時間を好み、今みたいに多くの人と関わる仕事に就くとは思えないような子どもでしたね。家の中で絵を描いたり読書をしたりするのが好きな、インドアで大人しいタイプだったんです。浜松市は静岡県最大の都市ではありますが、私が住んでいた町は本当に不便で、浜松駅から車で40分ほどの所でした。長野県に近く、クマやイノシシも出るくらい田舎だったんです。いまから振り返ると、よくそうした外から情報も入ってこないような場所から上京し、最先端の都市である東京で暮らせているなと思いますね。本当に歯車が1つ違ったら、まったく異なる運命だったので、私は今でも『地元から出たい』と考えている人たちの気持ちがわかりますし、彼らのことを応援しているんです。当時から自分が狭い世界で生きているということは認識していましたが、外の世界への飛び出し方がわからなくて。やっぱり上京してからは以前より視野も広がり、『生きている』という実感を強く持つようになりましたね」

トランク1つを持って単身上京

芸術系の大学に進学し、都市開発を学んでいた田中氏が芸能界に入ったきっかけは、就職活動のため上京した際に、現在の事務所の社長に声をかけられたことだったという。人生を変える契機となったこの出会いを振り返ってもらった。

「子どもがお姫様になりたいと思うのと同じような感覚で、小さい頃から女優に対する憧れはありました。ただ、私の地元には芸能事務所もなければ、身近にそのような仕事をしている人もいなかった。芸能界の人たちは本当に雲の上のような存在でしたね。自分には縁のない世界だと思って心にふたをしてはいたものの、女優願望が消えることはなかったですし、いわゆる『ゆりかごから墓場まで』地元の狭い世界の中で生きることがすごく嫌だったんです。昔から大好きな日本のテレビゲーム『ファイナルファンタジーシリーズ』 に影響を受けたこともあって、私は世界中を見て回る仕事がしたかった。だから大学では建築学を専攻しました。ただ、建築の勉強をしても、就職するのはおそらく地元の企業だし、本当に“外”に出るきっかけがなかったんですよ。その契機となったのが、今の事務所の社長に声をかけていただいたことだったので、大げさではなく運命的な出来事でしたね。23、24歳の時にお声がけいただき、『一週間くらいで上京できますか?』と言われたので、あの出会いがなければ地元の会社に就職して、今でも静岡で暮らしていたと思います。昔の私には自分の未来を切り開くほどの度胸がまだなかったですし、そんな機会もありませんでした。この時に初めて、『失敗してもいいから外の世界に出てみたい』と決心できたんです。親にも理解してもらいたかったのですけど、まったく説得できなくて…。結果的にトランク1つ持って家出する形になったんです。もともと私は子どもの頃から両親の期待を裏切りたくないタイプでした。それほど自己主張することもなく、親から勧められた学校に進学し、大学生の時も実家に住んでいて自立もしていなかった。まともな反抗期もありませんでしたからね。だから家を飛び出して上京したのが、私にとってはいわば初めての親に対する反抗だったんです。当時は学生だったのでお金もなく、高速バスに乗って泣きながら東京に向かいました。上京してからは半年ほど鳴かず飛ばずで、レッスンばかり受けていたんです。ただ、 そんな時も根拠のない自信だけはあって、『今のこの苦しい時期もいつかインタビューで話せる時がくる』と思っていましたね(笑)」

「ミス・ワールド」出場が大きな転機に

そんな田中氏が芸能活動を行ううえで大きな転機となったのが、2013年に「ミス・ワールド 世界大会」に出場したことだった。世界を代表するミス・コンテストであるこの大会に参加したことは、田中氏にとってどのような経験だったのだろうか。

「『ミス・ワールド 世界大会』に出場するため、1ヶ月間ほど1人で開催地であるインドネシアのバリ島に行きました。先ほどもお話ししましたように、私の中には広い世界を見てみたいという気持ちがずっとあったので、130ヶ国からそれぞれの国の代表が集まるあの大会に出場できたのはいま思い返しても夢みたいですね。ただその一方で、つらい経験でもありました。というのは、まず当然ながら私は英語が母国語ではないので、周りの人たちとあいさつ程度にしかコミュニケーションが取れなかったんです。せっかく世界中の人々と触れ合う機会が巡ってきたのに深い話ができないという悔しさがありましたね。それから、その時は日本人が私1人だったので強い孤独を感じました。でも参加者の中には『ここは天国のよう』と口にする人もいたんです。その人の国では常に戦争が起きていて、彼女から『家族を食べさせていくためには、この大会で自分が良い結果を残さないといけない』といった話を聞きました。私と同年代であるそのような人たちと出会ったことで、視野がだいぶ広がりましたね。上京して半年後くらいの経験だったこともあり、まともに自立もできていない自分はすごく子どもだな、と思ったんです。何か嫌なことがあったら実家に帰ればいいやという中途半端な気持ちの自分がすごく情けなく感じました。そのことに気付くことができたという意味でも、とても良い経験になりましたね。『ミス・ワールド世界大会』に出場したことで価値観が大きく変わったんです」

 

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巻頭企画「天馬空を行く」には、現役時代に圧倒的な強さで「怪物」と称され、現在は日本競輪選手養成所の所長を務める瀧澤正光氏と、平昌オリンピック・男子モーグル銅メダリストで、競輪選手への転向を果たした原大智氏がご登場!他競技から競輪へ転向したという共通点を持つお二人に、競輪の醍醐味や選手にとって大切なこと、さらに競輪界の未来のことまで、対談形式で語り合っていただきました!どうぞお楽しみに!!

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