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巻頭企画天馬空を行く

競輪界の頂点に立つ

2019年、佐藤選手は13年ぶりに出場した「KEIRINグランプリ」で、見事優勝を成し遂げる。その年のトップ9人が集まる、一発勝負の大舞台。すべての競輪選手が憧れる最高峰のレースの表彰台に立った晴れ姿は、ファンへの恩返しになったのではないだろうか。

「『KEIRINグランプリ』優勝は本当に嬉しかったです。先ほど、競輪は速い選手が必ずしも勝つわけではないと言いましたよね。このときのレース展開がまさにそうでした。今までのデータを機械的に見たら、このシナリオを予想するのは難しかったんじゃないかな。ところが、競輪は一筋縄ではいかない。結果は若い衆相手に親父の僕が勝った。ここらへんが奥深さであり、魅力だと思うんです。あのレースでは、自分でもわからないような不思議な力が出たんですよ。今まで自分がやってきた経験とテクニックで一番良いコースを踏むことができ、つかみとれた栄光だったと思っています。ファンの方々も熱い声援を送ってくれたのも嬉しかったです」

観客の声が消えたあの時期

常にファンとともに自身のキャリアを歩んできた佐藤選手。だが、新型コロナウイルス感染症の流行で、開催中止や無観客開催と、一時期その声援はなくなってしまった。普段とは違う無人の観客席に、佐藤選手は何を思ったのだろうか。

「普段、お客さんの声援にどれだけ勇気をもらっているのか、そのことをコロナ禍において再認識できました。開催が中止になって、競輪自体がなかったときはすごく残念でしたね。その後にお客さんを観客席に入れない無観客開催をしたこともあったんです。そのとき思ったのは、お客さんの声援がないと、こんなにも寂しいのかということ。お褒めの言葉でも野次でも、注目してもらって応援してもらえる幸せをあらためて痛感しました。
 競輪のお客さんは、とにかくエキサイティングで、観客席はものすごい熱気に包まれています。競輪場はすり鉢状になっていますから、声はよく聞こえるんです。負けたときは『バカ野郎』なんて罵声を浴びせられることだってあります。ときには、何でそんなことまで知っているのかっていうことまで言ってくるんですよ。『こないだ、あそこの雀荘にいただろ』とかね。そのとき声をかけてくれたら良かったのにと思いますよね(笑)。ほかにも『今日の晩飯代がないんだよ、頼むぞ』とか、いろんなお客さんがいて、だから競輪はおもしろいんだと思います。ぜひ、近くの競輪場に足を運んでみください」

己の限界に挑み続ける

2019年には最優秀選手賞に選出され、翌2020年には通算400勝を達成。40代を過ぎても、とどまるところを知らない勢いで躍進を続ける佐藤選手の今後の目標を聞いた。

「競輪選手は自分が強いうちに引退し、解説者になったりする方が多いです。僕はそうではなく、自分の肉体と精神力の限界がどこにあるのか、突き詰めたいと思っています。プロの競輪選手として何歳までやっていけるのか、何歳まで上位でトップ争いができるのかをトライしていきたいんです。『KEIRINグランプリ』での最年長優勝記録は43歳。僕も43歳でしたが、数ヵ月の差で歴代2位になった。そこを越えてやろうという気持ちもあります。今年も賞金ランキングで良いところに付けているので、2年連続で出場できるよう一生懸命取り組んでいます。そうやって、自分の中でいろんな目標を持って突き進んでいきたいですね」

目の前の壁を一つずつクリアしていく

現状に甘んじることなく、さらなる高みを目指して限界に挑み続ける姿勢は、誰もが真似できるものではないはずだ。力強く、ストイックな姿勢で競輪に真正面からぶつかっていく佐藤選手の全盛期は常に「今」であり、ピークはもっともっと先にある。その勇姿は今後も多くのファンの期待に応えるはずだ。最後に、挑戦したい人の背中を押す力強いメッセージをもらった。

「遠くの夢をつかむためには、そこまでの道のりに段階的に目標を立てて、一つずつクリアしていく。これが一番の近道じゃないでしょうか。大きなことをいきなりやろうと思っても、できるものではありません。目の前にある壁をひとつずつきっちり乗り越えていけば、きっと道は拓く。僕はそう信じています」

(取材:2020年9月)
取材 / 文:鈴木 貴之
写真:竹内 洋平

 

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