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Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

過酷だった青春時代

中学3年生のときには、自身の将来と向き合い、進むべき道を見いだしていた佐藤選手。ところが夢をかなえるための一歩であった高校生活は、想像以上に過酷な日々だったという。

「進学先の高校の自転車部は、インターハイを何連覇もしているような強豪でしてね。とにかく練習が厳しくてきつかったんです。平日は、朝に家から20km離れた学校まで自転車で行って、日中は授業を受ける。学校が終われば練習で100km乗って、家までの20kmを漕いで帰路に着く日々でした。土日になれば学校が休みで、普通の高校生にしてみたら嬉しいものですよね。でも、僕たち自転車部員にとっては、朝から夕方までみっちり練習を行う時間に消えてしまうので、休日が嫌で仕方なかった(笑)。しかも当時は、今のような科学理論に裏付けられたトレーニングではありませんでした。いわゆる『気合と根性で乗り切る』みたいなスポ根スタイルが主流で、夏でも水を飲まずに3時間走るみたいなことを平気でやっていたんです。毎日ヘトヘトで、今になって思い返すとすごく無謀だったと思います。とは言え、そうした青春時代の過酷な経験というのは、今の自分にきっちり生きています。当時のトレーニングに比べたら、今のトレーニングはちっともつらくないですから。10代のうちに貴重な財産ができたと思っています」

競輪選手になるためには、国家資格である競輪選手資格検定に合格する必要がある。この試験を通過するためには、日本競輪選手養成所に入所し、競輪選手に必要な身体能力や学力、教養などを身につけるため、1年間の厳しい研修を受けなくてはならない。

「静岡県の伊豆市にある日本競輪選手養成所は、国内唯一の競輪学校です。非常に倍率が高いことから狭き門であることで知られており、当時は75人の募集定員に対して、約700人が受験していました。一発で合格することはとても難しく、その頃の合格者の平均受験回数が5回とかだったんです。僕としては、受かるまで何年もチャレンジしようという気持ちでいました。1回目の受験は失敗したものの、2回目で晴れて合格できたのはラッキーだったと言えます。
 いざ入学してからは、競輪選手になるべく学科と実技トレーニングに明け暮れました。ここでの練習もきつかったです。陸上に例えて言うと、高校時代では長距離マラソンの練習ばかりしていました。それが養成所に入ったとたん100m走に種目替えになって、スプリント力を鍛えるダッシュ系の練習をするわけです。使う筋肉も違いますから、対応するのには苦労しました。厳しい環境でしたけど、脱落する仲間はほとんどいなかった気がします。なんせ歯を食いしばって頑張れば、競輪選手としてデビューできることはわかっていますからね。みんなで耐え抜きました」

競輪にケガはつきもの

スポーツにはケガがつきものであり、競輪もその例外ではない。猛スピードのまま選手同士が接触したり、バランスを崩して落車したりすれば、大事故にもつながるだろう。もしかしたら、打撲や擦り傷などは日常茶飯事なのかもしれない。そう思うに至ったのは、歴戦の戦士である佐藤選手の鍛え抜かれた体にも、無数の傷跡が残っていたからだ。

「僕自身、ケガをしたことは何度もあります。ただ、競輪選手が思う『ケガ』の定義は、一般的なものとはかけ離れているんです。というのも、競輪はスピードがだいたい60kmくらいは出ています。そこで落車してしまったときは、時速60kmの自動車から投げ出されるような衝撃です。それを想像してみたら、相当なものですよね。自ら転んでしまうことだってあるし、後ろから追突されたり、逆に突然前の選手が転んだことで避けられず追突したりしてしまうこともある。それらのアクシデントは、一歩間違えれば大ケガにつながりかねません。当然、擦りむいたり、血を流したりしてしまうことはしょっちゅうあるわけです。だけど、骨が折れない程度の切り傷や擦り傷を、選手はケガだと思いません。それだけ、競輪にはケガが絶えない。僕たちは、そういう世界で戦っているんです。
 もちろん、ケガへの恐怖心は常にあります。望んで落車する人はいませんし、ケガをしたくも、させたくもない。だけど、アクシデントは突然起こってしまいます。問題は、そういうときに何ができるかです。レースで全身全霊の力を使い果たして、終わったら疲れ切っているようでは、なにかアクシデントが起こっても対応できないでしょう。自分自身が常に余裕のある状態にあって、はじめて冷静な判断ができるわけです。つまり、しっかりと準備をしてレースに臨まなくてはならない。だから、普段からトレーニングを積み重ねていくことがすごく大切なんです」

ファンのために走る

トレーニングは孤独であり、己との地道な戦いと聞く。ときに挫けそうになったり、どうにも気分が乗らなったりすることはないのだろうか。また、そうなったときには、どのようにモチベーションを維持していくのかを聞いた。

「もしも、トレーニングをサボって試合に臨めば、不安な気持ちでいっぱいでしょうね。なぜなら、誰よりも自分自身が準備不足であることをわかっていますから、頭の中では負けるイメージであふれている。そんな精神状態では、余裕を持って戦うことなど、とてもできませんよね。スタートラインに立つことすら恐ろしいです。なので、『今日は練習をサボりたいな』と思ったときは、中途半端な仕上がりで本番を迎える自分の姿を想像するようにしています。
 そして、僕のモチベーションを支える大切な存在がお客さんです。お客さんは、僕らにお金をかけてくださるわけで、その期待を裏切るような状態でレース本番を迎えるというのは、プロとして失格だと思っています。ずっと応援してくれている方々に勇姿を見せたい、一緒に勝利の喜びをわかち合いたい。そういう思いが僕の原動力になっているんです。この気持ちは、どの職業でも同じようなものではないでしょうか」

お話をうかがう中で、見えてきたのはどこまでもファンのことを念頭においたプロフェッショナルな姿勢であった。そんな佐藤選手は、かつて大ケガを負い、長い入院生活を余儀なくされてしまったことがあるという。選手生命の危機に陥る中で、ファンの存在には大いに救われたそうだ。

「入院中は当たり前にやってきたレースや練習ができなくなりましてね。いろいろと見えてきたものがありました。その中で思ったのは、自分は競輪が好きで、また走りたいということ。正直、復帰できるかどうかわからない状態ではあったんです。それにもかかわらず、僕に温かいメッセージをくださるファンの方々がいました。『GIの決勝で勝ってくれ』『もう一度グランプリを走る姿が見たい』。競輪選手・佐藤慎太郎の復活を信じて応援してくださっていることが、たまらなく嬉しかったです。その期待に応えるためにも、こんなところでくじけずに頑張ろうと思いました。今も、応援してくださっている方々の期待に応えたいという思いで走っているのは変わりありません。もちろん、勝ちたい気持ちは誰よりもある。しかし、ただ勝てばそれでいいというのは少し違う気がするんです」

 

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