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ケガに苦しんだ現役時代

大山さんの選手時代の持ち味は、身長187cmという体格の良さを生かしたパワフルなプレーだろう。その一方で、現役時代は度重なるケガに苦しんできた。

「特にアテネオリンピック後、現役を引退するまでの数年は、ケガの影響もあって納得できない日々が続きました。その中で私を支えていたモチベーションは、『誰かのためになりたい』という思い。チームメイトや支えてくれる方たち、応援してくれるファンのみなさんなど、誰かの存在が私にパワーを与え続けてくれましたね。
 2008年北京オリンピックの最中、私は脊柱管狭窄症のため手術を受けました。このケガの手術で復帰した選手は一人もいないと聞いていましたから、不安はありましたね。実際、手術をせずにそのまま引退を考えたことも。そんなとき、私がこの手術を受けて復帰した第一号のアスリートになればいいのではと思ったんです。それで、同じケガに苦しんでいる方たちが『バレーボールの大山が復帰したのだから、きっと私にも頑張れる』と思ってもらえばと、閃いた瞬間があったんですね。それで手術を受け、現役復帰を目指すことを決めました」

2009年、大山さんは長期にわたるリハビリを経て、試合復帰を果たす。その後も2009 / 10 Vプレミアリーグでは、開幕戦にスタメン出場。回復は順調に進んでいるかに思われた。

「長いリハビリを経て、コートに戻ることができたのは嬉しかったです。でも、プレーの感覚がなかなか戻りませんでした。手術前と後では体の状態が違っているので、本来であれば以前のままのイメージを捨てなくてはならない。頭ではわかっていても、長年体に染みついた動きをしてしまうので、イメージしている動きができませんでした。モヤモヤした気持ちのままプレーに精彩を欠き、チームも試合に勝てなかったり、後輩の台頭もあったりする中で、また痛みが出てきてしまって。少しリハビリをしたら復帰できる程度だったものの、その気力が湧いてこなくて、私の心は折れてしまいました。逃げるようにチームから離れ、引退を考えたものの、これまで支えてくれたチームや会社、ファンの方々、大切な人たちに対する裏切り行為なのではないか。そんなことばかりを一人で悶々と悩む日々を過ごしていました。そんなとき、両親が『私たちは加奈のことを誇りに思っているよ。だから、胸を張って東京に戻っておいで』と言ってくれたのです。その言葉に私の苦しかった心は救われ、引退を決断することができました」

自身の経験をバレー界に還元

2010年6月に引退を表明。まだ26歳の若さであった。そこからどのようにして、セカンドキャリアを歩んでいったのだろうか。

「私はバレーボールを通じて、数え切れないほどの素晴らしい経験を積むことができました。バレーボールにとても感謝しているからこそ、今度は恩返しがしたい。それで、社員として東レの会社に残ることを決めました。ビジネスマナーを一から覚え、パソコン教室に通い、さまざまなことを学んでいったのです。気持ちを入れ替えて、新しいことにチャレンジする日々は、新鮮であり楽しかったですね。その反面、これまでバレーボールだけしかやってこなかった自分が、社会人としてどれだけ無知であるか思い知った時期でもありましたけど(笑)。
 そうして現在は、バレーボールの普及、発展のために幅広く活動しています。メインとなっているのは、子どもたち向けのバレーボール教室やイベント、講演会です。全国各地を飛び回り、仲間への思いやりや、仲間を生かすために自分がどう振る舞っていくかなどを大切にしてもらっています。
 私が最も子どもたちに伝えたいのは、『嫌なこと、つらいことがあったら逃げていいし、逃げるのは悪くない』ということ。子どもたちのコミュニティというのは、学校や塾などの狭い世界に限定されてしまいますよね。そうすると、どうしても『この世界でやっていかないといけない』と思い、仮にいじめを受けたとしても、先生や親に言えなくなってしまうことも。さらにスポーツ界においては、1つの競技を極めることを美学とする風潮がありますよね。でも、それがすべて正しいわけではないと思うのです。だって、どんな苦難に出合おうとも、それでも一途に続けるのは大変なことですから。私には、その気持ちがすごくわかります。なぜなら、小学生の頃からバレーボール一筋でやってきて、早くから将来を期待されていました。その過程にはつらいことや逃げ出したいことがたくさんありました。けど、誰にも弱音は言えなかったのです。『今辞めたら、私のこれまでの足跡はすべて無駄になる』。そう思うと、ボロボロになっても前に進むしかなく、少なくとも当時の自分にはその道しか見えなかったですね。
 そうした経験をしてきた私だからこそ、子どもたちには『苦しくてどうしようもなかったら、投げ出してみたら』ってことを伝えられる。その上で『1つが駄目でも、もっと視野を広げてみたら別の選択肢もあるよね。あなたの価値は無限にある』と、1つでも多くの引き出しを持ってもらいたいのです」

 

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