巻頭企画 天馬空を行く

サッカー指導者 佐々木 則夫


佐々木 則夫
NORIO SASAKI

1958年5月24日生まれ。山形県尾花沢市出身。帝京高校、明治大学を経て、日本電信電話公社(現:NTT)に入社。電電関東サッカー部(現:大宮アルディージャ)に入部する。現役引退後、大宮アルディージャで監督や強化・普及部長、ユース監督を歴任。2006年、サッカー女子日本代表(通称:なでしこジャパン)コーチに就任し、翌年からは監督を務める。2011年FIFA女子ワールドカップドイツ大会優勝、2012年ロンドン五輪銀メダル、2015年FIFA女子ワールドカップカナダ大会準優勝など数々の実績を残した。現在は、主に(学)十文字学園が運営する十文字学園女子大学の副学長と、大宮アルディージャのトータルアドバイザーとして活躍している。2019年、日本サッカー殿堂に選出された。

2011年、国民栄誉賞を受賞したサッカー女子日本代表(通称:なでしこジャパン)。当時チームの監督を務めていた佐々木則夫氏は、ワールドカップ優勝など、世界大会3大会連続ファイナリストという金字塔を打ち立てた。その手腕は、まさしく名将と呼ぶにふさわしい。佐々木氏はいかにリーダーシップを磨き、発揮してきたのか。勝利を生んだ組織マネジメントの真髄に迫る。

元なでしこジャパン監督・佐々木氏は、長年にわたるサッカー界への貢献が認められ、2019年に日本サッカー殿堂入りを果たした。現在61歳、還暦を超えてなお精力的な活動を続けている。

「現在メインとなっている仕事は、(学)十文字学園が運営する十文字学園女子大学の副学長と、大宮アルディージャのトータルアドバイザーの2つです。大学では学生たちに社会で活躍していくために必要な心掛けと、いかに学生生活に取り組んでいくのかなどを伝えています。また、同法人には中学、高校、大学それぞれにサッカー部があり、さらにトップチームとして、「FC十文字VENTUS」という女子サッカーチームを持っているんです。私はそのチームのスーパーバイザーとして、指導に携わっています。
 大宮アルディージャでの役割は、組織運営に関するあらゆるサポートです。トップチームやアカデミーの状況などのクラブ全体の動きを把握しつつ、地域活動、営業といったさまざまな業務もこなしていきます。おかげさまで、その他にも多くのお仕事を頂いており、非常にやりがいが持てる日々を送れていますよ」

サッカーとともに過ごした青春時代

佐々木氏はどのような少年時代を過ごしてきたのか、これまでの歩みを伺った。

「私の生まれは山形県です。少年時代は父の仕事の関係で、東京、埼玉などを転々とし、小学校卒業までに4回も転校を経験しました。それだけ生活環境が変化していくと、甘えん坊の一人っ子も、周囲に馴染むコツをつかむようになりましたね。私は足が速かったから、それでクラスメイトが注目してくれて、自然と打ち解けるきっかけになっていったんです。
 私はもともと野球が好きで、少年野球チームに入っていました。サッカーを知ったのは、3校目の小学校に通っているときに友達から誘いを受けたのがきっかけです。いざサッカーを始めてみると持ち前の俊足が役立つことも多く、すごく楽しかった。それで、あっという間にサッカーに傾倒していきましたね。だけど、次に転校した小学校にはサッカー部がなく、それならば中学生になったらサッカー部に入って頑張ろうと思ったんです。ところが、中学時代はケガを負ってしまい、不完全燃焼の3年間となってしまいました」

思うようにサッカーができないフラストレーションは、佐々木氏のサッカー意欲にさらに火を付けた。高校進学先として選んだのは、帝京高校。言わずと知れたサッカー名門校だ。

「高校では、トップを目指すつもりでサッカーに没頭したかった。それで、全国大会に出場できる確率が高い、帝京高校を進学先に選んだんです。練習はさすがに厳しかったですし、つらいこともたくさんありました。入部当初には100人以上いた同期も次々に辞めていき、結局、引退するまで残ったのは10人ちょっと。でも私自身は、前向きにサッカーに取り組むことができ、3年次には主将を任せてもらったんです。当時の帝京サッカー部には、コーチはいませんでした。100人を超える組織を、監督と主将の二人三脚で管理していく。そのため、主将に求められる能力も大きかったです。プレッシャーと責任を感じつつも、良い経験を積ませてもらいました」

佐々木氏が主将を務めた年、帝京高校サッカー部はインターハイ優勝、高校選手権ベスト4進出を果たす。その後、大会優秀選手で構成される日本高校選抜チームの海外遠征に参加し、そこでも主将を務めた。高校生活をサッカー漬けの毎日で過ごした氏は、大学に入ると別の進路を志す。

「大学入学後も、大好きなサッカーは続けました。でも、私には教員になりたいという思いもあって、将来は教職の道に進もうと考えていたんです。もともと人に教えるのが好きで、学生時代にはサッカーと並行して、YMCAのボランティアに参加していました。だけど、肝心の教員免許はサッカーの活動が忙しく、在学中に取得できなかった。だから大学卒業後、日本電信電話公社(現:NTT)に入社したものの、2年くらいは働きながら教職の勉強を続けていました。
 会社内の部活動にはサッカー部があり、私もそこでプレーしていました。チームは日本リーグ昇格を目指し士気も高かったです。社業をこなしながらサッカーに熱心に取り組む先輩の姿を見るうちに、私も『選手としてもっと頑張ろう』と思うようになっていきました。そこからはチームの目標達成のために努力を重ね、仲間と切磋琢磨していったんです。日本リーグ2部に昇格できたときは、本当に嬉しかったですね」

 

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