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元ボクシング世界王者 内山 高志

内山 高志
TAKASHI UCHIYAMA

1979年生まれ。埼玉県春日部市出身。高校はボクシングの強豪校に入学し、3年次に国体準優勝を果たす。大学では4年次に全日本アマチュアボクシング選手権大会で優勝した。卒業後はオリンピック出場を目指す中で、2003年に全日本選手権を3連覇、国体も含めアマチュア4冠を達成する。2005年にプロデビュー。2010年にWBAスーパーフェザー級王座に挑戦してタイトル奪取。以後、11度にわたり王座を防衛した。2017年に引退。現在はフィットネスジムを運営するなど、ボクシングの魅力を広く伝える活動を展開中。

ボクシングのWBAスーパーフェザー級王者として11度にわたる王座防衛を記録した、元世界王者の内山高志氏。冷静沈着に試合を運びながら、最後は豪快なKOで勝利するその戦いぶりから、現役時代は「ノックアウト・ダイナマイト」の異名で人気を集めた。アマチュアの頃から華やかな経歴を誇る内山氏だが、本人は「謙遜でもなんでもなく、自分はまだまだ弱い、といつも思っていた」と語る。その言葉の真意に迫った。

 


ジム経営が順調に推移

内山氏が代表を務めるフィットネスジム、「KOD LAB FITNESS BOXING」。2018年12月にオープンして以来、順調に会員数を伸ばしている。

「当ジムは会員さんの、ダイエットしたい、体を鍛えたい、ストレス解消をしたい――といったさまざまなニーズに対して、ボクシングのトレーニングを軸に、目的に合わせたメニューを提供しています。オープンして半年くらいで会員さんが250人を超えましたから、経営は順調ですね。
 僕も週4~5日は顔を出して、指導しています。一般の会員さんはボクシング経験がないですから、教え方にも工夫が必要です。そこは難しさを感じる部分ですが、日に日に上達していく姿を目の当たりにすると、嬉しいです。ボクシングには、こういう楽しみ方もあるんだなと感じています。
 ジム以外の仕事だと、試合の解説の他、講演に呼んで頂くことも多いですね。よく依頼されるのは、営業職の社員の方々に、僕の現役時代の体験を紹介しながら、あきらめずに続けることの大切さなどを話してほしい――という内容です」

辰吉丈一郎氏に憧れボクシングの道へ

アマチュアとプロで20年以上にわたりボクシングを続けてきた内山氏。少年時代は何をして、どのような経緯でボクシングを始めたのだろうか。

「10代の頃はいろいろなスポーツを経験しました。小学生の頃は水泳、野球、陸上競技、中学生になってからはサッカーを始めました。実は僕、飽きっぽい性格なので、1つのことが長く続かないんですよ(笑)。どのスポーツも2~3年続けていると、伸び悩んでしまう。それで、後から始めた子にレギュラーの座を奪われてしまうこともありました。そうなると、続けるのが嫌になっちゃう。
 そんな中で、ボクシングをやりたいと思ったのは中学3年生の時。当時、世界チャンピオンだった辰吉丈一郎さんの試合をテレビで見てからです。辰吉さんの試合は面白いし、ボクシングスタイルが格好良くて、憧れました。それ以降は、テレビで放映するボクシングは全て見るようになったくらい、はまりましたね。その頃、ボクシング好きな同級生がいたんです。彼から、『近くの高校にボクシング部があるから一緒に入部しよう』と誘われまして。それで入学したのが、花咲徳栄高校でした。
 一緒に入部した友人からは『俺は将来、世界チャンピオンになる。世界戦前のスパーリング相手にはお前を使ってやるよ』と言われました。彼とはその後、公式戦で2回対戦して、どちらも僕が勝ちましたけどね(笑)。ただ、彼に誘われなければ花咲徳栄には入学していなかったはずですから、これも縁だと思います。
 とは言え、厳しい環境だったので、3年間続けるのはかなり大変でした。ともかく、顧問の先生が怖かった。みんなの前で先生が話をしているときは、微動だにせず立ち続けて、先生から目線をそらしちゃいけないんです。ちょっとそれると、ものすごく叱られる。体育会系というか、まるで軍隊でした(笑)。今はもちろん、そういう教育はしていませんが、あの時代を乗り越えられたから、その後のボクシング人生でも、厳しいトレーニングに耐えられたのだと思いますね」

成長を感じられるのが楽しい

飽きっぽい性格で、野球やサッカーはレギュラーから外されると嫌になってやめてしまっていたのに、ボクシングはなぜ続けられたのか。

「ボクシングをするのは楽しかったんです。それが一番の要因でしょうね。他のスポーツをやっていたときよりも、上達していく自分が実感できた。選手として強いとか弱いとかではなく、トレーニングを通じて、自分がうまくなっているのが実感でき、楽しかったんです。それで、3年間頑張ってみて、第52回国民体育大会、国体で準優勝できた。
 ただ、僕自身のレベルはさほどのものではなかったです。一回戦から全部ギリギリの戦いで、決勝戦は圧倒的な大差の判定で敗れてしまいましたからね。でも準優勝はできたから、まだまだ成長できるのではないかと思った。ボクシングでは、自分に伸びしろがあるように思えたんです」

苦汁をなめた荷物持ちの日々

内山氏がボクシングを続ける場所として選んだのは拓殖大学。ボクシング部は、高校で実績を残したエリートばかりが集まる名門校だ。

「同級生は、インターハイや国体で活躍したような、ものすごい実績を持つ奴らばかり。僕は完全な下っ端でしたね。当然最初は、公式戦に出場できるレギュラーにはなれなかった。レギュラーでない1年生は、試合に出られないだけでなく、荷物持ちをやらされるんですよ。先輩のだけならまだしも、同級生の荷物まで持たされる。あの時はとにかく、ものすごい挫折を味わいましたし、悔しくて仕方なかったです。何とかその状況を脱したかった。だから、試合に出ている奴らよりも、練習量だけは絶対に負けないと決心して、みんなが練習を終えてからも走りにいくなど、誰よりも多く練習し続けました」

小さな目標をクリアし、一歩ずつ前へ

今の立場から這い上がり、レギュラーになって試合に出る。内山氏はその目標に向かって、一心不乱に練習を続けた。

「僕は昔から、その時点での目標を高い場所に設定せず、高校生の時も、レギュラーになれればいいとか、まずは一試合勝てればいいと考えていました。目標は高く持つべきと言われることも多いですが、僕は常に、目前の目標をクリアすることに全てを賭けてきたんです。
 そうやって一生懸命トレーニングをしているうちに、レギュラーに選ばれて試合でも勝てるようになってきた。そうなると、今まで以上にボクシングが楽しくなりました。『練習は嘘をつかないし、裏切らない』。どれだけ妥協せずに量と質が伴った練習をこなすか。それが全てを左右するのだと信じられるようになったのは、あの時からです。もし妥協して練習をサボっていたら、今の僕はなかったかもしれません」

 

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