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巻頭企画天馬空を行く

“自分に勝つ”ことが本当の強さ

どのくらいのケガだったかは見てもらえば伝わると思う――そう語る長谷川氏はスマートフォンに保存してある、当時の左手の状態の画像を見せてくれた。そのケガは皮膚が裂けているほどのものだった。素人目にも分かるのは、この状態で力を込めたパンチなど打てるわけがないということだ。

「練習が終わる度に、手術したところが裂けて毎回こうなるんです。結局、縫い直さずに毎日練習をしました。痛すぎるからパンチを打ちたくないけど、それでも歯を食いしばって打つ。とてもつらかったです。今でも左手には針金が入っています。ただ、そういうケガをしていても、試合が終わるその瞬間まで、僕の集中力は一度も切れなかったんです。その結果、試合に勝って3階級制覇できた。心の底から『やりきった』と思えました。そして、連続防衛をしていた頃から求め続けていた、自分のことを強いと思える瞬間を手にしたんです。
 僕の求めていた本当の強さというのは、どれだけ強い対戦相手と戦ったとか、どの団体で何級のタイトルを何回獲得するかということで得られるものではなかった。そうではなく、どんな状況にあっても目標を見失わず、最後まで戦い抜くという気持ち。“自分に勝つ強さ”だったんです。試合が決まってから勝利を収めるまで、僕の気持ちは一度も折れなかった。そういう試合ができたから、これ以上、答えを探す必要はないと思えました。だから、チャンピオンのまま美しく引退しようと決めた。何の後悔もなく、納得した上で決断できましたね」

小さいことで自分に勝ち続ける

探し続けていた“強さ”の答えを見いだし、納得して現役を退いた長谷川氏。「後悔のない現役時代を過ごせたからこそ、引退後の第二の人生も楽しめている」という。そんな同氏は、結果を出す人とそうでない人の差はどこにあると考えているのだろうか。

「結果って出そうと思っても出ないんですよ。僕はよく聞かれるんです。『どうやったら自分に勝てるようになるのか』と。自分に勝てないと嘆く人は、例えばジョギングをするにしても、最初の目標が高いんですよね。いきなり3kmも4kmも走ろうとするから続かない。1kmでも良いんです。いや、散歩だって良い。毎日どんなに気が乗らないときでも、とにかく続けることが大切。実際に僕は、今でも毎朝走っています。走ると気持ちが良いですよ。汗をかく気持ち良さもあるけれど、それよりも『今日は朝から自分に勝てたな』という気持ちで一日を始められるのが良い。つまり、本当は走りたくないんですけどね(笑)。
 1km走るのを2ヶ月くらい続けたら、もう少し距離を増やせるようになりますよね。そうやって少しずつ目標のレベルを上げていく。続けてみると、『自分に勝つ』って、そんなに難しいことではないはずです。誰でも2ヶ月続ければ、その習慣をこなさないほうが気持ち悪くなって、やらないと後悔するようになります。その域までくれば、自分に勝ち続ける土台はできている。
 自分に勝つ状態をキープして、少しずつ目標を高くしていく生活を積み重ねると、仕事でも何でも、うまく回るようになります。自分に負け続けるような堕落した状態では、思い通りの仕事や生活は、できないものですからね。常に自分に厳しく、勝ち続けて、日々の生活に小さな後悔を残さないようにする。それを続けられるからこそ、運が味方して結果が付いてくるんじゃないでしょうか」

人生はプラスマイナスゼロ

長谷川氏がボクシングを通じて培ってきた人生観はどんなものなのか、最後に質問してみた。

「僕たちは、よく『ボクシングは麻薬だ』と言います。その魅力は、対戦相手と拳で会話ができること。リング上で殴り合い、最後には抱き合う。そのわずかな時間の中で、自信に満ち溢れた顔、弱気になった顔、いろいろな表情を見るので、相手のことがよく分かる。ですから、試合をした相手と再会すると、まるで10年前くらいからの友達のように感じるんです。これはボクシングを通してでしかできない貴重な体験だと思います。
 また、引退した今も、僕は現役時代以上に充実した楽しい日々を送っています。もちろん、現役時代は注目もされたし、試合に勝ったときの充実感や達成感はかなりのもの。世界戦に勝つとその後の3日間くらいはアドレナリンが出続けて、世界が自分のために回っているかのような錯覚に陥るんです。それに、どこへ行っても誰に会っても『おめでとう』と祝福してもらえる。こんなに嬉しいことは普通の人生では味わえません。
 ただ、賞賛の声をたくさん頂くほど、負けたときは辛い(笑)。僕は両方を味わってきた中で感じたことがあります。人生はトータルで考えるとプラスマイナスゼロなんです。良いときもあれば、悪いときもある。だから、良い状態のときほど、悪くなったときに備えておかなければならない。悪いときは、この先は必ず良くなると信じてやっていくだけ。どんな人でもそうだと思いますよ。僕も今は良い状態で過ごせていますけど、この先きっと、辛いこともあると思う。でも、終わってみたらプラスマイナスゼロになっているはず。だからこれからもずっと、自分に勝ち続ける日々を積み重ねて、楽しめることだけを追求していきたいですね」

(取材:2019年2月)

 

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