巻頭企画 天馬空を行く

サッカー指導者 西野 朗

西野 朗
AKIRA NISHINO

1955年、埼玉県生まれ。少年時代からサッカーを始め、早稲田大学在学中に日本代表に選出される。1978年に日立製作所に入社。同社サッカー部でプレーする。1985年、日本サッカーリーグタイ記録の8試合連続得点を決めるなどの活躍により、ベストイレブンに選出される。現役時代の主なポジションはミッドフィルダー。引退後はU-20日本代表、アトランタ五輪代表の監督などを歴任。1998年にJリーグ柏レイソルの監督に就任して以降、約15年にわたり、ガンバ大阪など複数のクラブチームで采配を振るう。Jリーグ通算270勝は、歴代1位の記録を誇る。2018年4月、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督の解任を受けて日本代表監督に就任。同年6月のFIFAワールドカップ ロシア大会でチームを指揮し、グループリーグ突破の成績を残した。

およそ四半世紀にわたってサッカー界で監督業を務めてきた西野朗氏。2018年には前任者の解任を受け、FIFAワールドカップ ロシア大会に臨む日本代表監督に就任。わずか2ヶ月で組織を変革し、チームを決勝トーナメントに導いた。同氏の監督としての信条は、攻撃的スタイルをぶれずに貫くこと。その思いはこれまでのキャリアの中でいかにして培われ、発揮されてきたのか─。「何か事を起こすためには、受身ではなく自らが動くアグレッシブさが必要」と語る同氏に、話を伺った。

 

 

日本サッカー界のために

2018年4月、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督が率いるサッカー日本代表は、FIFAワールドカップ ロシア大会を目前に控えながら、決して良好とは言えないチーム状態にあった。日本サッカー協会は、同月にハリルホジッチ監督の解任を決断。そして、同協会の技術委員長を務めていた西野氏が監督就任を要請された。まずは、同氏に当時のことを振り返ってもらった。

「当時の私は、日本サッカー協会の技術委員長という日本代表チームをサポートする部署のリーダーで、ハリルホジッチ監督をバックアップする立場でした。それゆえ、監督交代に至ったのはチームを支えきれなかった自分の責任でもあったんです。それでも田嶋幸三会長の決断もあり、体制を変えることになりました。ですから、就任要請を受けた時は、葛藤と困惑がありましたね。
 しかし、命じられた以上、ワールドカップイヤーを迎えた日本サッカー界の流れを止めるわけにはいかないと考えました。当時は親善試合でも思うような結果が出ず、日本代表に対する世間の盛り上がりはそれほどでもなかったですよね。私はそうした状況を何とかしたかったんです。ロシア大会で日本代表へのイメージを好転させたい、日本サッカー界のために力を出し切りたい。その思いで、引き受けることを決めました」

理想を体現できるのが代表チーム

本大会2ヶ月前という切羽詰まった状況で監督に就任した西野氏。少ない時間の中で、どのようにチームをまとめ、戦える集団にしようと考えたのだろうか。

「まず、チームを大きく変える必要があると思いました。そして、代表チームならそれができる可能性があったのです。これがクラブチームの監督であれば、試合には所属選手のみを起用し、その力を最大限引き出すようなチーム編成が求められます。一方で代表チームの場合、私自身の理想のサッカーを実現するために必要となる有能な選手を、自分の手で編成できるのです。だからこそ当時は、停滞していた状態を変革できるだけの要素が揃っていると感じました」

守備的な戦術を選んだアトランタ五輪

代表チームに変革をもたらすため、編成にあたり、自身の目指す攻撃的なサッカーを体現できる選手の選考を進めていった西野氏。そもそも、同氏はなぜ攻撃的なスタイルを好むのか。それには、1996年のアトランタ五輪でアンダーカテゴリーのU-23日本代表チームを率いた経験が、少なからず影響している。
 
「確かに、私が目指すサッカーのスタイルは、攻撃的なものです。Jリーグのクラブチームを率いていた頃は、それが代名詞になっていたくらいですから。しかし、それ以前にアトランタ五輪のU-23 日本代表を率いた時は、本大会を守備的なスタイルで戦いました。日本サッカーが五輪の本大会に出場を決めたのは、28年ぶりのこと。日本の力は世界の強豪国と比較すると、だいぶ劣っていたと思います。では、そうした国に勝つためにはどうすれば良いか。そこで選んだのが、相手の長所を消し、その上で自分たちのストロングポイントを生かす守備的な戦い方でした」

28年ぶりに五輪アジア予選を突破した西野氏率いるU-23日本代表は、アトランタの本大会で“サッカー王国”のブラジルを撃破。後に「マイアミの奇跡」と呼ばれる快挙を達成する。

「ブラジル戦は守備に徹し、ワンチャンスをものにする戦い方をしました。そして、充分なスカウティングをしたことも奏功し、まさにワンチャンスを生かして勝利したんです。でも、あの戦い方は決して私が望むスタイルではなく、本意ではありませんでした。本当は、どんな強豪国を前にしても強気で攻めにいく戦術を採用したかったのですが、それは現実的に難しかった。そうした中で、どうすれば勝利を掴めるのかを考えた結果が、あの戦術だったんです。
 ただ、当時は勝利こそしたものの、批判もされましたね。『消極的すぎる』『若い選手たちの今後につながらない』というように・・・。あの時の経験があったからこそ、Jリーグのクラブチームの監督に就任してからは、自分の理想とするスタイルをぶれずに貫こうと思うようになりました」

攻撃的スタイルの確立

西野氏の目指すスタイルを体現し、“超攻撃的”と呼ばれるサッカーでJリーグの強豪クラブにのし上がったのが、ガンバ大阪だ。西野氏が同クラブを率いた10年間において、国内外で獲得したタイトル数は計7つにも上る。アジアのクラブチームチャンピオンを決定するAFCチャンピオンズリーグでも優勝を果たし、アジア代表としてFIFAクラブワールドカップ2008に出場。準決勝では世界的な強豪クラブであるイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドFCを相手に、真っ向勝負を挑んだ。

「結果的に5対3で負けはしましたが、あのシーズンと、その前後の数年は、2点取られたら3点取るというチームづくりを追求し、世界的な強豪クラブとも戦うことができました。あの頃に自分の中で、チームづくりの基準や求めるスタイルが定まりましたね。だから、その後に率いることになったヴィッセル神戸や名古屋グランパスでも、ぶれないチームづくりができていたと思います。そして、ロシア大会を目指す日本代表においても、そのスタイルを貫こうという思いに変わりはありませんでした」

 

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