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Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

成果が出るのは3年後

各地に足を運び、自らのキャラクターや人間性を売り込んで興味を持ってもらうという、地道な取り組みを続けた棚橋氏。そうした活動が実を結び始めるのには、どれくらいの時間が必要なのか。

「これは僕の肌感覚ですが、地方へプロモーションに出た成果が現れるのは、3年後くらいです。僕はそれを『3年後理論』と呼んでいます。例えば、2018年の新日本プロレスは、おかげさまで盛況だったと思います。ただそれは、その3年前にプロモーションをしていた成果です。そして、翌年も、その翌年も途切れることなくプロモーションを続けてきた。それを繰り返すことで、ビジネスとして下降線にならないくらいには、さまざまな方々との縁をつないでこられたわけです。その経験則から言うと、仮にビジネスが平行線をたどっているようでも、少し工夫を凝らして、3年後理論を続けていけば、経営が悪い方向にいくことはないと思います。
 また、新日本プロレスとしては選手の商品価値を高めたいわけですから、ファンクラブに入って頂いた方との距離が近くなるようにしたいんです。ただ、僕はファンクラブはもちろんですが、どんなファンとも距離が近いことにこそ、プロレスの良さがあると考えています。だから、現在は経営も回復して良い状況にあるからと言って、これまで地道に続けてきたファンサービスをやめようとは思いません。初心を忘れず、継続することによって、改善すべき点や向上すべき何かが見つかるはずです。むしろ成長曲線を描いている時期だからこそ、ちょっとしたほころびが出たとき、早い段階でそれに気付けるかどうかが大事。修正する力がある時期に気付ければ、ほころびが小さいうちに対処できますからね。
 2006年頃から地道に続けてきたプロモーションやファンサービスがあって、今がある。そう考えると、日々のトレーニングと同じかもしれませんね。筋肉の量は、今日トレーニングをしたからと言って、明日になれば成果が出るものではありません。将来の大きな目標のために、実直にやるべきことを続けてこそ、おのずと成果が出てくるんです」

覚悟が恐怖心を凌駕する

プロレスラーは日々、厳しいトレーニングを欠かさない。継続ができない人とできる人の違いは、どこにあるのかを尋ねてみた。

「それは大きな目標があるかないかで決まるのではないでしょうか。何かを成し遂げるには、何かを犠牲にする必要がある。例えば、ダイエットを成功させたい人は、それと引き換えに食事を制限しますよね。駆け出しのレスラーが東京ドームでメインの試合に出場するほどのスターになりたければ、厳しい指導や訓練に耐えながら誰よりもたくさん練習しないと、そこにはたどりつけません。目標を達成するにはそうやって対価を払う必要があるし、それを払ってでもやりたいか、やる覚悟があるか─そこに、継続ができるかできないかの差が出ると思います。
 レスラーは、鍛え上げた肉体を見せるのも商売です。大勢の観客の前で引き締まった体を見せたいと思ったら、自然と食べ物にも気を配るようになりますよね。細かい部分ですが、目標達成のためには何が大事なのかを、瞬間ごとに判断する力も大切です。その瞬時の選択を間違わずにいられれば、目標に近付けるわけですから」

激しいトレーニングを経て肉体を鍛錬してこそ、レスラーはリング上で輝くことができる。しかし、華やかな舞台である反面、そこには常に身体的な危険が付きまとっているのも事実である。恐怖心はないのだろうか。

「もちろん試合に対する恐怖心はあります。無事にリングを下りられるのか不安がよぎり、試合前に子どもたちの顔が目に浮かぶこともありますね。でも、いざ試合となれば、すでに覚悟を決めているんです。僕は『虚勢を張る』という言葉は、美しい日本語だと思います。どちらかと言うと、弱い人間がするイメージがあるけれども、そうではない。『武士は食わねど高楊枝』という感覚ですね。例えば、好きな女性と道を歩いているとき、走ってきた自転車にぶつかられたとします。それで、好きな子に具合を心配されたら、嘘でも『大丈夫』と言うでしょう(笑)。強く見られたい、格好良く見られたいという思いもあるし、相手に心配をさせたくないですから。それが、虚勢を張るということです。
 僕は、レスラーは肉体的にも精神的にも、虚勢を張れるかどうかが大事だと思います。技を掛けられて、ダウンして、苦しくても立ち上がるからこそ、その姿に観客の皆さんは感情移入して声援をくださる。攻撃している側より、受けている側にフォーカスされるわけですから、プロレスの競技性は特殊です。もちろん、派手で技術的にも難しい技を披露したときにも盛り上がりますが、何度倒されてもギリギリでフォールされずに立ち上がる姿にも、観客の皆さんは魅せられているんです。そう思うのは、僕自身が子どもの頃、劣勢になっても諦めずに戦い続ける選手の姿に勇気をもらっていたからですね。
 例えば、新日本プロレスを立ち上げたアントニオ猪木さん。当時はゴールデンタイムで試合が放映されていましたし、たくさんの方々に勇気を与えたと思います。猪木さんの頑張る姿から、見ている自分たちが勝手に恩義を感じるんですよ。『ありがとうございます。励まされました!』と。僕も、『棚橋が試合で頑張っていたから、自分も頑張ろう』と思ってくれる方々を増やしたい。試合を通じて、そんなプラスのエネルギーを持ち帰って頂きたい。それが、僕がプロレスに憧れた原風景であり、プロレスの一番の醍醐味なんです。それを多くの方々に感じてもらいたいという覚悟があるからこそ、ケガをすることや試合に対する恐怖心にも、打ち勝てるのだと思います」

未来を約束するアイコンに

第一線で活躍を続け、プロレス界を牽引する棚橋氏。最後に、これからのプロレス界について語ってもらった。

「プロレスに女性ファンが増えたことがクローズアップされますが、ファミリー層からも人気を集めていることは、あまり取り上げられていないんですよ。今の世の中には、家族全員が世代を超えて楽しめる共通の話題って少ないですよね。みんなスマートフォンを持っているから、一緒に外食をするときでさえ、それぞれがスマホの画面を眺めているだけで、会話がない。でも、家族間でコミュニケーションが取りづらい時代だからこそ、共通に好きなものがあれば、会話が弾むと思うんです。普段はそれぞれに生活があってバラバラだったとしても、『プロレスは一緒に見に行こう』と誘い合える家族がいたら、すてきじゃないですか。そういうふうに、プロレスを今以上に、年齢性別を問わずに楽しめるものにしていきたいですね。
 あと、これは業界の課題の1つなんですけど、プロレスラーに憧れて、その道を目指すことはできる。でも、プロになれたとして、引退した後の第二の人生をどう過ごすのか、明確な道筋がないんです。多くの人は飲食店経営などをしますが、果たして他にどんな選択肢があるのかと言うと、ほとんどないんですよね。
 
実は僕も、そこに関して不安に感じていた頃がありました。でも、2018年は『パパはわるものチャンピオン』という映画で主演を務めることができ、役者の仕事を経験しました。他にもファッション誌に出るなど、プロレス以外の仕事も多くなってきたんです。
 プロレス業界をもっと盛り上げていくためには、プロレスラーに憧れる子どもたちを増やさなければなりません。そのためにどうするかを先ほどの課題に絡めて考えると、『プロレスラーになったらテレビや映画に出演できて、モデルの仕事もあって、いろいろなことを経験できる未来が待っているんだ』と、ワクワクしてもらえるようになるのが1つの手だと思います。だから、プロレスラーに憧れる子どもたちに、輝かしい未来を約束するアイコンになることが、僕の目標です。アメリカには、プロレスラーからハリウッドスターになったザ・ロックこと、ドウェイン・ジョンソンがいますよね。それなら、僕は日本のザ・ロックになりたい。ロック以上とは言わなくても、彼の次くらいにはね。なんと言っても、『100年に一人の逸材』ですから(笑)」

(取材:2018年11月)

 

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