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Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

コミュニケーションを取り縁を育てる

棚橋氏がプロモーションで地方へ出向くようになったのは、IWGPヘビー級のチャンピオンベルトを獲得した頃。実はこの当時、同氏は王者になったにも関わらず、試合に出るたびにファンからブーイングを受け続けていた。

「僕は今までの新日本プロレスのイメージとは異なるスタイルのプロレスをしていたので、古くからのファンの中には、そこが気に入らない方もいたんだと思います。だから、どの興行でも常にブーイングを浴びていて、非常につらい時期でした。
 でも、北海道の旭川市でプロモーションをした後の興行では、大歓声をもらえたんですよ。そこで初めて、『人気が出るというのはこういうことなのか』と、何かをつかめた気がしたんです。その時のプロモーションでは、地元の方と食事会をするなど、いろいろなコミュニケーションをとっていました。実際に会って話をしたことがある方々が多い場所での興行だと、これほど観客の反応が違うのかと実感しましたね。つまり、僕の人間性に触れた方は、僕がどういう人間なのか、その人となりが伝わったからこそ応援しようと思ってくれたのでしょう。この出来事が、地方でのプロモーション活動に力を入れるようになったきっかけでした。
 ただ、いざ活動を始めてみると、これが結構大変でしたね。プロレス自体の人気が下がっていたので、地方に出向いても、プロモーションしてくれる大きな媒体はほとんどなかったんです。だから、地元の小規模なFM局やタウン情報誌の出版社などを訪ねてみる。すると、中にはプロレス好きな方がいることもあって。そういう方々との縁を大事に、小さなつながりを少しずつ深いものにしていきました」

「棚橋」という人間を売り込む

旭川での興行は、棚橋氏にさまざまな影響を与えた。プロモーションの仕方を変えるようになったのも、そのうちの1つだという。

「『何月何日に大会があって、絶対に面白い試合をしますから見に来てください!』という興行のアピールは、最後のほうで少しだけ言うくらいにとどめておくように心掛けました。それよりも、とにかくプロレスラーとしての『棚橋弘至』という人間を売り込むことに努めたんです。プロモーションに一役買ってくださる地元メディアの方々の中には、プロレスの知識が全くない方もいます。だからこそ、プロレスの話はなるべくしない。その分、棚橋はこういう性格で、趣味は何で・・・という僕の人間性を売り込むんです。
 すると、『棚橋さんはよく喋るし、話も面白い』と興味を持ってもらえるようになります。そうやって親しみを感じてもらった後で、『実は今度試合があるんです』とアピールすれば、何人かは、会場にわざわざ足を運んでくださるんです。その上、試合中は僕の応援もしてくれる。それが地方を訪れて、人との縁がつながったことを実感できる瞬間です。そして、ちゃんと面白い試合をすれば、その方々が知人や友人にプロレスの魅力を話してくれて、徐々に輪が広がっていくでしょう。
 ただ、地方のメディアに露出をするだけでは、現地で時間を持て余すこともありました。そんなときには、せっかく地方に出向いたのだから何かしなければと必死に考え、駅前でプロモーションをしたこともあります。営業担当が大会のポスターを持ち、僕もその横に立って。でも、悲しいことにさほど注目を浴びないんです。なんだか、看板を首から下げているサンドイッチマンのバイトをしている気分になることもありましたね(笑)。
 また、大会当日にも、いろいろと工夫しました。例えば、普通なら試合前は控え室などの室内でウォーミングアップをしますが、僕はあえて、会場の外へランニングに出るんです。すると、『あそこで走ってるの、レスラーの棚橋だ』と気付いてくれる方もいます。それで、『棚橋が試合をするなら』『新日本プロレスの興行があるなら』と、見に来てくれる方が少しでも増えたら・・・そんなふうに思いながら、プロモーションを兼ねたウォーミングアップを続けていました」

 

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