巻頭企画 天馬空を行く

R・グローバルジャパン 株式会社 代表取締役 竹内 亮介

竹内 亮介
RYOUSUKE TAKEUCHI

1983年、千葉県出身。立命館大学産業社会学部卒業。R・グローバルジャパン(株)代表取締役。2012年に、資金ゼロ、人脈ナシ、まったくの未経験からAmazon輸入ビジネスを始め、1年後に月収100万円、2年後に月収200万円を稼ぐようになる。2014年、事業拡大のため貿易業を手がける同社を設立。個人コンサルティングやコミュニティ(IBC)でノウハウを教え、月収100~1500万円以上稼げるクライアントを多数輩出。さらに、読者数8.6万人(購読者数・輸入ビジネス日本一)のメールマガジンを配信し、独自のノウハウで業界から注目を集めている。現在は、パソコン1台で世界中どこに行っても仕事ができる生活スタイルを確立。2021年2月に『いちばん儲かる!Amazon輸入ビジネスの極意[第2版]』(出版元:秀和システム)を刊行した。

本誌でビジネスコラムを連載中の、R・グローバルジャパン 株式会社の代表取締役・竹内亮介氏。年収1億円やベストセラー出版など多くの夢をかなえた同氏だが、20代の頃に3年近く無職・引きこもりを経験するなど、道のりは決して最初から順風満帆というわけではなかった。資金も人脈もパソコンのスキルもなかった状態から、いかにしてAmazon輸入ビジネスを成功させたのか。「包み隠さず伝えることが私のモットー」という言葉通り、紆余曲折のあった自身の歩みや、仕事で結果を出すための思考法などについてオープンに語ってくれた。

 

 

人を笑わせるのが好きで芸人を目指した

現在ではAmazon輸入ビジネスの第一人者として知られる竹内氏だが、意外なことに学生の頃の夢はお笑い芸人だったという。どのような子ども時代を送っていたのだろうか?

「小学校の時の成績は良く、通信簿もかなり良かったです。成績や態度が良かったため、中学校は推薦で入ることができたんです。小学生の頃はどちらかというと優等生タイプでした。中学・高校はエスカレーター式の私立校だったので、中高生時代はあまり勉強はしませんでした。でも受験勉強だけはちゃんとやり、大学には特待生として入学しました。小学3年生からずっと野球をやっていたので、最初の夢はプロ野球選手だったんです。けれどある時期にプロになるのは無理だと思うようになりまして。それで、高校の途中からはもともと好きだったお笑い芸人を志すようになりました。とにかく、サラリーマンになるのが嫌だった。毎日同じ会社に行き、65歳までずっと同じような仕事をするという生活にあまり魅力を感じなかったんです。私の父が典型的なサラリーマンで、毎朝、決まった時間に家を出るわけですよ。それを見て大変そうだなと感じていたんです。あとは早く1人暮らしをしたかった。自立したいという気持ちは15、16歳の頃から抱いていました。親の言うこともあまり聞かなかったですね(笑)。大学ではお笑いサークルに入っていました。関西の大学に行ったのも、お笑い芸人を目指していたことと関係ありますね。憧れていたのは、やはりダウンタウンのお二人でした。それから当時は『ボキャブラ天国』などの人気番組があり、お笑いブームが起きていたので、そういった番組に出演している芸人の方々のようになりたいとも思っていましたね。こういう言い方をすると語弊がありますけど、彼らはすごくおもしろいというわけでもないのに人気者になっていた。そこがいいなと思っていたんです。当時は、周りの人たちを笑わせるのは好きでしたね」

薬の副作用で神経的な病気に罹患

大学在学中に芸人養成所に入るなど、夢に向かって歩みを進めていた竹内氏だが、やがてその夢を打ち砕くような大きな災難に見舞われることになる。

「大学時代は、吉本興業の養成所であるNSCにも通っていました。2004年に入学し、同期にはオリエンタルラジオ、はんにゃ、フルーツポンチ、トレンディエンジェルといった、後に売れっ子になる芸人がたくさんいたんです。ただ、学生の乗りで入ったので、当時はあまり本気になれませんでしたね。そのことに関しては今でも悔いが残っています。やがてNSCを卒業し、芸人として本格的に活動を始めようとしていた矢先、薬の副作用から神経的な病気を患いました。その頃、精神的に少し不安定だったので、母親の勧めもあり心療内科のようなところに行ったんです。けれど、その病院の医者の診察がかなりずさんで、患者である私の顔も見ないで薬を渡すだけでした。それで処方された薬が効かないと伝えると、量を増やしたり、次々に違う種類の薬を出すといった対応で、それらを飲み続けていたら重篤な副作用が起きてしまったんです。右手が動かないだとか、しゃべりづらいだとか、顔の表情が強張る症状が徐々に出始め、次第にひどくなっていきました。薬をやめても治らなかったんです」

絶望の中でパソコンの勉強を開始

さまざまな治療をしたり、入院して手術をしたりしたものの、完治にはいたらず芸人を引退することになった竹内氏。それから3年近く、無職・引きこもりの状態が続くことに。当時の心境はどのようなものだったのだろうか?

「絶望しかなかったですね。千葉の実家に戻っていて、夢を失い、やることもなく、自分はいったい何をすればいいのだろう、と本当に暗澹たる思いでした。神経系要因によって話すのも不自由になっていたので、字を書くとか、話をするだとか、自分が一番やりたかったことを奪われてしまったんです。それで、パソコンの学校に通うようになりました。ただ、パソコンは大嫌いだったんです。特に、天気の良い日にパソコンに向かうのが(笑)。だから抵抗はありましたが、たとえ薬の副作用がすぐに消えなかったとしても、長期的に考えるとパソコンのスキルはあった方がいいですよね。そういった考えから勉強をしてみようと思い、ウェブデザインを学ぶ学校に通い始めたんです。その甲斐があって1年後には自分でホームページをつくれるようになりましたし、国家資格である2級ウェブデザイン技能士、ネットショップ実務士の資格も取得することができました。資格を取ったこと以上に、パソコンに向かってがむしゃらにやろうという気持ちになれたのが良かったですね。とにかく、それだけに集中して勉強に取り組んでいたので、忍耐力がつきました」

 

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