巻頭企画 天馬空を行く

プロ野球選手 井口 資仁

井口 資仁 TADAHITO IGUCHI
1974年、東京都生まれ。小学生から野球を始め、国学院久我山高校入学後に捕手から内野手に転向。青山学院大学時代には東都大学リーグ史上唯一の三冠王となるなど活躍し、4年生で出場したアトランタ五輪では銀メダルを獲得。1996年、ドラフト1位で福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団。プロ初出場の試合で満塁本塁打を放ち、鮮烈なデビューを飾る。1999年、2003年には日本一に貢献。2005年にはMLBのシカゴ・ホワイトソックスに移籍し、移籍1年目から主力として活躍、ワールドシリーズ制覇に貢献した。その後はフィラデルフィア・フィリーズ、サンディエゴ・パドレスを経て、2009年に千葉ロッテマリーンズに入団。2010年には日本一に輝き、2013年には史上5人目となる日米通算2000本安打を達成する。2017年9月、21年間にわたる現役生活に終止符を打った。

日本プロ野球史上初となる新人選手での満塁弾デビューに始まり、日本シリーズを3度、ワールドシリーズを2度制覇。個人タイトルも、盗塁王2度、ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞3度を獲得したスタープレーヤー、井口資仁氏。日米通算2408試合出場、2254安打、295本塁打、1222打点という偉大な実績を残した氏は、現役引退直前に何を思うのか。その輝かしい半生を振り返って頂きながら、氏の信念、そして今後に向けた思いまでを存分に伺った。

 

アトランタ五輪で得た貴重な経験

42歳、日本プロ野球界で最年長の野手となった井口資仁氏は、2017年6月に今季限りでの引退を発表した。まずは、氏の野球人生の歩みを辿る。

「小学生時代から野球をやっていて、その頃にはすでに『プロ野球選手になりたい』と、かなり強く思っていました。そして、中学校に上がった頃には『プロ野球選手になるものだ』という確信に近い思いがあって。中学校まではキャッチャーだったんですが、高校では内野手に転向してショートとしてプレーし、夏の甲子園にも出場しました」

その後、1993年に青山学院大学に入学した井口氏。高校卒業後にそのままプロ入りするという選択肢もあったはずだが、そこにはどんな思いがあったのか。

「1996年にアトランタ五輪が開催予定だったので、何とかアマチュアで出場したいという目標があったんです。4年間、木製バットでプレーするのも良い経験になると思っていましたしね。
 結果として、大学4年生の時に五輪に出場でき、大きな刺激を受けました。印象深かったのは、キューバ代表のプレー。パワーもスピードも全く違いますし、まさにメジャーリーガー級で、度肝を抜かれたんです。そういうずば抜けたレベルの選手たちとプレーできたというのは得がたい経験でした」

苦境脱却のための「盗塁王」獲得

その後は、1996年のドラフト会議で福岡ダイエーホークスから1位指名(逆指名)を受け、プロ野球選手としてのキャリアをスタート。プロ入り後初出場となった近鉄バファローズとの試合では、日本プロ野球史上初の満塁本塁打デビューを飾る。しかし、華々しいデビューとは裏腹に、その後の約4年間は成績が低迷。1999年にはダイエー初のリーグ優勝、日本シリーズ優勝に貢献するものの、翌2000年にはケガで戦列を離れるなど、苦境に立たされることとなった。

「ホークスは『これから』というチームだったので、自分も仲間に加わって一緒に強いチームづくりをしていきたいと思っていました。ただ、いざプロの世界に入ってみると、想像以上にその壁は高かったです。大学時代に本塁打記録をつくっていたこともあり、周りからはホームランを期待する声が上がっていましたし、自分もそれに応えたいという気持ちがありましたが、その中で自分を見失ってしまい・・・。プロとして自分のスタイルが確立できていなかったんです」
 
 その窮地を、どのように脱したのだろうか。
 
「当時のコーチから、『同期入団の選手が活躍しているが、彼らを追い抜く方法は分かるか?』という話をされました。コーチ曰く、『彼らは頑張っているもののタイトルは1つも取っていない。だからお前はタイトルを何か1つでも獲得するべきだ』と。そこで、自分の中で何をアピールしたらレギュラーになれるかを考えたときに、『足』だと思ったんです。そうして、明確に『盗塁王』という目標が生まれました。それが2001年、ちょうどセカンドにコンバートされた年でしたね」

「盗塁王」に目標を定めた井口氏は、入団5年目にして転機を迎える。3番セカンドとして定着し、30本塁打44盗塁を達成。念願の盗塁王に輝き、ベストナインとゴールデングラブ賞も受賞した。それまで盗塁を意識したことはなかったという氏にとって、2001年にはさまざまな気付きがあったという。

「30盗塁を目指すとなると、一見高い目標に思えるかもしれませんが、約6ヶ月のシーズンの中で月に5回走ったら到達すると考えれば、意外と実現できる数字ではないかなと。月に5回ということは、週に1回程度。そう考えて、カレンダーにシールを貼りながら目標達成に向けて計画立てて進めていきました。結果、40以上走れたので、これは自分にとって自信になりましたよ。
 それから、バッティングの不調はあっても走塁の不調というものはないので、『バッティングが悪くても何とか塁に出れば』と思えるようになって、自分の中で安定した武器ができました。一方で、盗塁するにはピッチャーのクセやバッテリーの配球まで読む必要があったので、それがバッティングにも生きたんです。実際、盗塁に挑戦し始めてからはバッティングの調子の波も減りましたしね」
 
 
 

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