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巻頭企画天馬空を行く

株式会社 ヘキサゴン  代表取締役 中村 太郎

中村 太郎 TARO NAKAMURA
石川県出身。大学卒業後、上京して印刷会社に就職し、営業職を3年ほど務める。その後は一度地元に帰るも、再び上京してセールスプロモーションを手がける会社に入社。企業のタイアップ広告などを3年ほど手がけ、20代後半にして役員まで上り詰めた後、退職。知人の不動産会社にて主に店舗物件の仲介業を行う中で、起業を決意する。2000年4月、東京都中野区にてWeb&グラフィックデザイン事務所を創業。翌年8月に(有)ヘキサゴンを設立し、事務所を杉並区に移転。2005年2月には株式会社化し、同年3月に渋谷区代々木に事務所を構えた。現在は自社ブランド「アンビエンテ」を展開する他、2016年8月にオープンした「戦国フォトスタジオSAMURAI」の運営にも力を注いでいる。

昨今、ドラマや映画、ゲームなど幅広いジャンルにおいて、戦国武将ブームが巻き起こっている。「歴女」と呼ばれる歴史好きの女性たちの登場を皮切りに、その人気は海を越え、今や海外でも多くの武将ファンがいるという。ブームが加熱する最中、戦国武将の甲冑を身にまとい撮影ができるフォトスタジオを立ち上げたのが、(株)ヘキサゴンだ。同社の中村社長が語る戦国武将の生き様には、一過性のブームでは終わらないであろう、経営や人生における数々の教えがあった。氏が大切にする経営哲学から、働くことの真髄を学ぶ。

経験を蓄積した20代

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2016年夏、東京・代々木で「戦国フォトスタジオSAMURAI」をオープンした(株)ヘキサゴン。同社はもともと結婚報告はがきや年賀状の制作・販売を行う会社だが、“戦国武将”に特化したフォトスタジオという、これまでと全く毛色が違う事業に着手した経緯は何だったのか。その真意を探るべく、同社の創業社長である中村太郎氏に、自身の歩みからじっくり話を伺った。

「兄がメディア系の仕事をしていた影響で、昔から自分も広告の仕事をしたいと思っていたのですが、就職活動の中で出会った社員の方に憧れたこともあり、社会人一歩目は印刷会社に入社したんです。そこでは営業職に就きながら印刷の基礎を学び、3年ほどで退職。それからしばらくして、憧れていた先輩が広告会社を立ち上げてお声掛けくださり、かつてやりたかった広告や販促の仕事に就きました。ただ、3年ほど勤めた頃でしょうか。会社の状況の変化もあって退職することに。それからは知人の手がける不動産会社に転職して、主にIPOをした経営者の方などに賃貸物件をご紹介していました。
 でも、そんな風に自分の会社をつくって成功されている方とばかりお話をしていたら、『自分でも何か事業を始めたい』という思いがふつふつと湧いてきましてね。ちょうど当時は楽天が軌道に乗っていた頃で、IT業界が盛り上がっていたんです。そこで、何の知識もなかったのですが、独立してホームページ制作事業を始めました。まずは制作の基本を覚えるところから始め、営業もFAXからスタート。それでは成果が出なかったので飛び込み営業に切り替えると、訪問を始めた初日に街の花屋さんが依頼をくださいました。その初仕事でお金を頂いたのが2000年の4月17日で、この会社の開業日になったんですよ」

ペーパー事業に活路を見いだす

仕事も徐々に安定し、その1年後には(有)ヘキサゴンとして法人化を果たす。しかし、順調に進むと思われた事業は、程なくして壁にぶつかることとなる。

「大きな継続契約を結んでくださっていた企業が、他社に吸収合併されてしまったんです。それで、急に仕事が減って収入も落ち込み・・・そのときに考えたのが結婚報告はがきでした。デザイナーが注文を受けてつくるデザイナーズポストカードが流行り出した時期だったので、印刷会社時代の経験も生かせるし、これはいいんじゃないかと思って。それを思い付いたのがちょうど2002年の10月頃。年末にかけて年賀状もニーズがあると思ったので、急いでデザインを考案し、ファミリー向けの年賀状制作も始めました。すると、かなりの注文が入ったんです。当時、競合もまだ多くはありませんでしたし、テンプレートのデザインに決められた配置で写真をはめ込んでいく会社が多い中、当社はトリミングの細かな調整や写真補正を1件ずつ行っていたので、その丁寧さが好評を呼んだのだと思います」

この事業が、ヘキサゴンのオリジナルブランド「アンビエンテ」だ。中村社長の両親が営む喫茶店名から付けられたという思い入れのある名前の同ブランドは、現在でも会社を支える主要事業となっている。

「その後には結婚式の招待状制作も始めました。それから競合が増えて価格競争が激化した頃には、細々と続けていた出産報告はがきの制作に火が付いて。そうやってペーパー事業を幅広く手がけていたことで、たくさんのお客様が、結婚、出産、その後は年賀状・・・といったように、長くお付き合いが続くリピーターになってくださったんです。その積み重ねで、安定した収益を獲得できる事業に成長させられました。
 ただ、この事業も2012、3年頃をピークに、次第に売り上げが伸び悩んでしまって。インターネットやスマートフォンが台頭し、紙離れが急速に進んでいったんですね。年賀状を出す人もどんどん減り、社員たちも『10年後まで年賀状は残っているのだろうか・・・』と不安を抱き始めました」

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