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巻頭企画天馬空を行く

株式会社 ASTRAX 代表取締役 / 民間宇宙飛行士 山崎 大地

山崎 大地 TAICHI YAMAZAKI
1972年、神奈川県鎌倉市生まれ。1997年、東海大学工学部航空宇宙学科卒業。同年、三菱スペース・ソフトウエア(株)に入社し、国際宇宙ステーション(ISS)日本実験棟「きぼう」の運用管制官として開発および建設に従事する。2005年、(有)国際宇宙サービスを設立し、新宇宙ブランド「ASTRAX」を立ち上げる。2016年、(株)ASTRAXを設立。同社の代表取締役を務め、パートナー企業を増やしながら、新たな発想で幅広い宇宙ビジネスを展開している。

2017年時点で、宇宙旅行の予約者が10万人を超えていることをご存じだろうか。これまで宇宙事業は政府主導で進められてきたが、米国を中心とした法整備などによって民間企業が参入しやすい環境づくりが進められており、今や世界中の企業が宇宙船開発や宇宙ビジネスに続々と乗り出しているのだ。しかし、未だに宇宙産業における国家事業としての側面が強い日本では、民間による宇宙事業への取り組みに遅れが生じてしまっている。その現状を危惧するとともに、世界に先駆けて多様な宇宙ビジネスを創出しているのが(株)ASTRAXの山崎社長だ。宇宙に情熱を注ぎ続ける氏の活動から、来るべき民間宇宙飛行時代を見据えた宇宙ビジネスの可能性を考える。

宇宙への憧れを抱き続けた学生時代

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(株)ASTRAXの代表取締役・山崎氏が宇宙に興味を持ったのは小学生のときだった。1990年にジャーナリストの秋山豊寛が宇宙船ソユーズTM-11に搭乗し、1992年に毛利衛がスペースシャトル搭乗を行う10年以上前。日本で「宇宙飛行士」という職が認知されるより、ずっと前のことだ。

「幼い頃から宇宙が描かれたアニメ・・・『機動戦士ガンダム』や『宇宙戦艦ヤマト』などが大好きでしたから、宇宙にはずっと憧れがありました。小学校高学年になる頃には学校の授業で天体を学ぶようになり、その面白さに夢中になっていましたね。当時、天体望遠鏡が欲しかったのに買ってもらえず、それならばと自作したんです。それを使って天体観測をしてみると、やはり手作りの望遠鏡だから惑星はぺったんこに写るのですが、その中で土星だけは輪っかがあって立体に見えました。そのときに、どこかリアリティのなかった宇宙や星というものが『本当にあるんだ』という実感が湧いて──とても感動しましたし、『いつか土星に行きたい』と強く思いましたね。
 天文クラブも自分で立ち上げたりと、宇宙への思いは持ち続けていました。中学1年生の夏にはボーイスカウトのプログラムでアメリカに行く機会があって、観光でワシントンD.C.にあるスミソニアン国立航空宇宙博物館を訪れたんです。そこには月面着陸をしたアポロ11号の宇宙船やライト兄弟がつくった飛行機、スペースシャトルなど、テレビや映画で見ていたものが展示されていて、航空宇宙開発の厚い歴史を目の当たりにし、『アメリカの開発は日本では考えられないくらい進んでいるんだ』と衝撃が走ったのを覚えています。
 また、乗り物全般に興味があったので、アメリカに行くのに人生で初めて飛行機に乗り、飛行機にもすごく興味を持ったんです。しかし、帰国してわずか1週間後に日航ジャンボ機墜落事故が起こり、その約半年後にはスペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故が起こって・・・。飛行機と宇宙船の大事故が立て続けに起これば、普通は『乗り物=危険』と思うのでしょうが、僕にはふと『もっと安全で壊れないものをつくらなきゃ』という使命感のようなものが湧いてきたのです。父親が家電メーカーで開発職に就いていたこともあり、僕の家では昔から壊れたものは修理し、ときには部品をバラバラにして新しいものをつくったりしていましたから、ものづくりへの関心が人一倍強かったのかもしれません」

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