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株式会社 ラクーン 代表取締役社長 小方 功

小方 功 OGATA ISAO
1963年、北海道札幌市に生まれる。1988年に北海道大学工学部を卒業後、大手建設コンサルタント会社に入社。1992年に退職し、起業準備をするために中国の北京に1年間留学する。現地で中国人実業家と出会い、人生観と華僑のビジネス哲学を学んで帰国。1993年9月に東京都狛江市の自宅兼事務所でラクーントレイドサービスを創業した。貿易業を続けるなかで在庫品取引市場に着目し、1998年に「オンライン激安問屋」をスタート。2002年にはBtoBの卸・仕入サイト「スーパーデリバリー」を開始し、現在の主力事業に育て上げた。2006年にマザーズ上場、2016年に東証一部上場と、創業以来ずっと右肩上がりで順調に事業規模を拡大している。著書に『華僑 大資産家の成功法則』(2005年)、『ネット問屋で仕入れる』(2009年)がある。

“企業活動を効率化し便利にする”をキーワードに、企業間取引におけるeコマースの分野において新たな価値を生み出し続けている(株)ラクーン。1993年の創業から着実に業績を伸ばし、2006年4月にマザーズ上場、2016年3月に東証一部上場を果たした躍進企業だ。今回はユニークな視点で事業づくりや組織づくりを展開する、同社の小方社長に話を伺った。

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起業を決意するまでの道程

eコマースの分野において、様々なビジネスモデルを創り上げてきた(株)ラクーンの小方社長。まずは氏に、独立のきっかけを語って頂いた。

「多くの人がそうだと思うのですが、僕も何となく大学を出て建設系の会社に就職して、何となく社会人生活を送っていました。それで4年半ほど働くなかで、ふと『このままでいいのか』と違和感を抱くようになったんですね。
 事業というのは、“需要と供給”の関係で成り立っています。ですから欲しい人が売りたい人よりも多くないと、なかなかハッピーが生まれづらいんですね。かつて私のいた土木系の業界で言うと、道路やダムや空港といったインフラは、高度成長期ほどのペースでは必要ないにもかかわらず、国の予算やゼネコンの数は昔のまま。規模を維持しようとするがあまり、端的に言えば明らかに要らない場所に要らないモノをつくっている工事などもあったりして、これを分かっていながらもやらざるを得ないというのは、やはりやりがいを失う理由になりましたね。
 ちなみに私はその会社にいたとき──今から20年以上も前の話ですけど、世界トップクラスの日本の土木技術を途上国を中心とした世界に売るべきだと考え、国際営業部に2年連続で転属願いを出したんです。でも、周りには冗談だと思われるし会社からも受け入れてもらえず・・・それで僕のほうが業界を去るべきだと悟ったんですね」

まだまだ年功序列・終身雇用というのが当たり前だった1992年、29歳だった小方社長は会社を去ることを決意。次に進むため自らの思考を整理するなかで見えてきたのが、“起業”という選択肢だった。

「会社を辞めることは決意したのですが、当初は強い起業願望があったわけでもなく、どこか別の会社に転職しようかなくらいに思っていたんですよ。それで“どうせ新しい道に進むのならば世の中のためになることをしたい”と考えるなかで、自然と起業という選択肢が浮上してきたんです。事業としてやる以上、成功させたい。そのためには利益を得ることや他の人が興味を持って集まってくれる事実が必要ですよね。ただ、当時の僕には軍資金もなければ人脈もない。それなのに次に進む業界や業種を決めつけることがある種のリスクだなと感じ、まずは頭のなかを一旦、どこかで整理する必要があるなと考えていました。
 それでひとまず、起業を決めた後はその準備をするため、サラリーマンをしているあいだに英会話を習ったりクレジットカードをつくったり様々な業種のリサーチをしたり、できることは全てやっておこうと思って色々と行動していたんですよ。でも、日本にいると飲みや遊びの誘いがひっきりなしに来て、僕は人生の岐路で悩んでいるというのに友人から『今から飲むぞ!(ガチャッ)』なんて一方的な電話が掛かってきたりするわけです(笑)。そのうち周囲からの誘いだけでなくテレビや新聞からの情報もノイズのように思えてきて、全てを断ち切りたいと思って中国への留学を決めました。中国を選んだのは、前の職場の中国人の方に知人を紹介してもらったからというシンプルな理由でした」

華僑ビジネスの本質を学ぶ

30歳からの1年間、中国留学を経験した小方社長は、1人の華僑との出会いによって進むべき道が見えてきたという。

「中国で、“世界最強の商人”とも賞される華僑のビジネスの本質を知ったとき、ちょっとした新鮮さというか、不思議な感覚にとらわれました。まず驚いたのは、彼らは何より“信頼”を基軸にビジネスを展開していくということですね。
 それとは対照的に昨今の日本では経済的合理性を優先した欧米的なマネジメントが主流ですが、もともと信頼の文化を重視してきた日本人からすると、違和感を覚えるときがあります。例えば契約書の隅のほうに、相手を陥れるような一行が書いてあり、それにより後の人生が狂ってしまうというようなケースもあったりしますけど・・・もうちょっとお人好しで済まされる世の中でいいのではないかと、時々思うのです。
 じゃあ日本人にとって“信頼”って何だろうと考えたとき、それを家柄や学歴で決めていませんか?って思うときもあります。この考えを否定する人も増えてきていますが、とはいえ一流大学を出ていればそれだけでステータスですし、例えばマンションで理事を決めるときに一部上場企業の役員をやっていた人が推されたり・・・結局、日本では未だに学歴や職歴、家柄が大事なんだなって思っちゃうシーンって日常にたくさんありますよね(笑)。
でも見方を変えると、目安にできるものがあるだけましなのかも知れないんですよ。様々な理由で海を渡ることになった華僑の人々は、それさえなかったわけですから。異国の地で言葉は通じないし、『僕は陳家の末裔です』なんて言っても誰も知らない。だから華僑の方々は学歴や家柄を信用の名刺代わりに使うことができず、本当の意味での信頼関係を築かざるを得なかったというわけです。結果、彼らはそのスタンスを貫き異国の地でビジネスを大成功させた。ですから彼らの行動や立ち振る舞いに、ビジネス成功のヒントが隠されている気がしていますね。
 “華僑が示す信頼”についての印象的なエピソードですが、僕は中国留学時、ビジネスで成功したある華僑の方に『Aさんは信頼できる人ですか』と聞いたことがあります。すると彼は少し悩んだあと、次のように答えました。『Aさんは自分にとって信頼できる人だけど、君にとって信頼できる人かどうかは分からない』。
 どういう意味ですかと問うと、『人間というのは好きな人を大事にする。そうでない人のことはないがしろにする。誰に対しても同じ信用力を示して生きているわけじゃない。だから企業の格付けを聞くかのごとく、彼が信頼できる人かどうかを聞くのは間違いだ。どんなに悪評のある人でも、誰かを大事にして生きているということに気がつくべきだろう。もし君がAさんと信頼関係を築きたいのであれば、彼との時間を共有することだ。ただし、ひとたび信頼を勝ち得たとしてもそれで終わりではなく、その関係に免罪符のようなものもない。生き物のように進化して育っていく信頼関係は、一緒につくっていかなければならない大切なものだ』。
 この話を聞いた僕はとても感銘を受け、この感動を誰かに伝えたいと思いました。ところが、北京で出会った日本の大企業の偉い人たちは皆一様に、名刺だけ渡せば挨拶が済んだと思うのか、そこから新たな関係を築こうという人は誰もいない。名刺には名だたる企業名が記されていて、肩書きも立派なんですよ、でもその姿勢は何か違うんじゃないかなって・・・。それで僕は、華僑から学んだことを日本に持って帰りたいと心から思い、何かを信じて得する世界というのを上手にビジネスのなかに取り入れられないものか・・・それだけを考えながら、帰国の途についたんです」

 

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