一歩を踏み出したい人へ。挑戦する経営者の声を届けるメディア

Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

20150301_tenma_h1-01

 

「常に考える」社風

20150301_tenma_ex03未来工業の社内を歩くと、いたるところで目にするのが「常に考える」という言葉だ。これは未来工業の社是である。

「この『常に考える』という社是を、社員には絶えず意識してほしい。だから目に付くところに社是のパネルを貼るなど、まずは視覚から訴えかけるようにしているんです。仕事で行き詰まった時には、『自分は未来工業の社員なんだ。ここで考えなかったら、未来工業の社員じゃない』という風に思ってほしい。もちろん言葉だけで行動が変わるとは思っていません。そこで会社として『提案制度』を設け、社員が考えやすい環境も整えていますよ」

「提案制度」は、社員が会社に対して何か提案をした際、会社から1つにつき500円を支払うという制度である。その大きな特徴は、提案の内容はどんなものでも良いということ、そして提案の採用・不採用にかかわらず、一律にお金が支払われる点だ。提案は年間で1万5000〜2万件を数え、中には1人で100件以上の提案をする社員もいるという。

「『提案制度』の中には、1人で年間200件以上の提案をすれば、提案の報酬とは別に特別ボーナスを出す仕組みもあります。毎年2人くらいはいますよ。そして報酬は全て月ごとの現金払いなので、奥さんに内緒のへそくりにもしておけるわけです(笑)。もちろん引っ越しや子どもの進学など、お金が必要な時に頑張ってもらうのも大いに結構なことで、それもまた励みになるはずです。
 それに常日頃から考える習慣をつけておくと、提案とは関係ない仕事の難題にぶつかった時でも、自然と頭を巡らせ、解決策を導き出そうとするものなんです」

こうした姿勢も、未来工業が長年にわたって培ってきた財産の1つだ。創業者・山田昭男氏は創業時の目標として、高額所得番付(2006年に廃止)に載れる会社になること、そしてその目安となる「経常利益4000万円」という数字を掲げている。そうした会社になるために採った方法、それが「達成できていない会社のしていないことをする」だった。成功者を真似るのではなく、成功していないケースの逆を行く。真似でない以上、オリジナルを考えることが必要になる、というわけだ。

「会社の仕事の中で、『自分の仕事はどう役立っているのか、本当に必要なのか』ということを考えるのは大切なことだと思います。定例会議を例に挙げると、未来工業では会議というのはほとんど行いません。会議をしている暇があるなら、その時間でお客様のところに伺いなさい、ということなんです。そうやって、無駄なことを省いていったのが未来工業という会社。世の中にはまだまだ、『今までやってきたから』という惰性で無駄な仕事を続けている会社が多い気がします。ましてや、それを残業してまでやっているのであれば、これはもう、会社の利益を削るために仕事をしているのか、という話にすらなりますよ」

「当たり前」を疑い、徹底して効率化を図る。それが未来工業である。会社としてもそうした姿勢を忘れぬよう、10数年に一度は大規模な人事異動を行うという。時には係長が課長を飛ばして部長になったり、開発課長が製造部長になるなどのサプライズ人事は、下で働く者に強烈な変化をもたらす。それはマンネリを防ぎ、あらゆる手段を以て常に社員に考えることを促すためのものだ。だからこそ未来工業には、製品開発、営業、その他全ての部署において、考えて行動する文化が浸透しているのだ。

創業者・山田昭男

山田社長は対談中、父である創業者の話をたびたび口にした。未来工業という会社をつくり上げた父への敬意や感謝の気持ちが、そこに窺える。亡き父親、昭男氏のことについて聞いてみた。

「学生時代は、そりゃあ嫌いでした(笑)。当時はまさか自分がこの会社に入るとは思っていなかったですから。しかし大学時代に転機があって、人に感謝することを学びました。そこで誰に感謝をするべきなのかと考えた時、やっぱり一番は親だなと。父は存在そのものが本当に大きな人だったので、そこは認めて感謝すべきだな、と思ったんです」

山田社長が子どもの頃、こんなことがあったという。父・昭男氏と食事に行った時、昭男氏は靴をわざとかのように脱ぎ散らかして座敷に上がっていった。一方、小学生だった雅裕少年は学校で靴を揃えるよう指導されていた。当時は不思議だったそうだが、父親の脱いだ靴を店員がきちんと揃えているのを見て、ある考えが浮かんだという。

「靴を揃えるのが当たり前と言ったって、店員がせっかく揃えてくれるのだから、わざわざ自分で揃える必要なんてないじゃないか。それがあの人の考えだったのでしょう。そうした細かいところから、世の中の『慣習』というものを疑っていたのが、山田昭男という人だったと思います。
ちなみに父は、きっと自分の姿を息子が見ていることも想定していたんでしょうね。あの人はパフォーマンスの天才だったから(笑)」

豪放磊落、それが山田昭男という人物であり、その発想は未来工業という会社にそのまま受け継がれている。そして山田雅裕社長をはじめとする社内のメンバーは、そのイズムを継承し、次の50年へと歩もうとしている。

20150301_tenma_ex02

1 2 3