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Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

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2度目のオリンピックで学んだこと

金メダルを取得した直後のインタビューで、岩崎さんが「今まで生きてきたなかで、一番幸せです」とコメントしたのは有名だ。ではいったい、その発言はどんな心理状態から生まれたのだろう。

「金メダルを獲った決勝は、それまで経験したレースのなかで一番緊張していたような気がするんですけど、その後のレースも含め改めて振り返って見ると、なぜそのときに今までどおりというか、練習どおりに泳げたのかなって疑問に思うんです。その理由を考えていくとやっぱり、変なプレッシャーや気負い、欲などがなかったからかなという結論に達するのですが、あのときの感覚はその後、味わえませんでしたね。
 レースを終えた直後は、世界一になったとか金メダルを獲ったんだという実感は全くありませんでした。日本に戻ってから、おびただしい数のメディアやマスコミの方から注目を浴びるようになったとき、ことの重大さが分かったというか実感が湧いたというか・・・。正直に言うと騒がれすぎて、日々の生活に疲れてしまった面もありましたね。
 私のなかではただ単に、お姉ちゃんみたいになりたい、お姉ちゃんのタイムに追いつきたいという一心で水泳を続けてきて、負けず嫌いな性格も手伝って次第に『一番になってみたい』と考えるようになり、一生懸命に頑張ったら偶然にも最高の結果を出すことができたという感覚でした。だからそれが終わった後は注目され続ける生活にずっと馴染めず、ただただその状況が過ぎ去るのを待っているような状態で、次の目標を考える余裕さえなかったような気がします」

中学2年生で金メダル獲得という前人未踏の偉業を成し遂げたものの、それ以降、取り巻く環境が一変してしまう。さらに14歳で獲れたなら18歳でも金を・・・という周囲からの期待やプレッシャーも否応なしに浴びせられるなか、次大会のアトランタでは10位と満足な結果が残せなかった。

「14歳のときの記録を上回れなかった直接的な原因は結局、フィジカル・メンタル両方の部分を自分でうまくコントロールできなかったからだと思います。メダルを獲った後の、想像もつかないほどの環境の変化に付いていけず、水泳への熱が冷めていったというのも本当です。2年がすぎた高校1年生くらいから再び水泳への意欲が湧いてきたのですが、それまでのブランクや成長期というのも重なり、アトランタにベストなコンディションで臨めたかと言われたら正直、そうではなかったかもしれません。
 ただ、18歳で2回目のオリンピックに出場できたのは、私のなかで本当に有意義なことでした。メダルを獲ることよりも、メダルを獲りに行くまでの過程こそが大事なんだということがはっきりと分かりましたし、オリンピックに出ることの意義やメダルの価値を再認識できたという意味で、アトランタオリンピックは私を人間的に大きく成長させてくれた場所だと思っています。競技者としては満足な結果を残せませんでしたが、そのときの経験や思いが今の私を形づくっているのは間違いありません」

オリンピックの意味やメダルの価値が本当の意味で分かったとき、メダル獲得の大変さを痛感したという岩崎さん。様々な経験を経た今、14歳で金メダルを獲得できた要因はどこにあったと捉えているのだろう。

「今振り返ると、やはり当時の練習量は半端ではなかったですね。それと、日本代表に選ばれてから新たに代表選手専属のコーチのもとで練習したところ、一気に伸びたという感覚はありました。それまでは町のスイミングスクールで練習していた私にとって、日本代表での質の高い練習からは色々と得るものも大きかったですよね。
 日本代表のコーチは通常、技術的な指導はしないんですよ。レースの前で泳ぎの形を崩してしまう恐れがありますから。でも私の場合は代表入りしてから、言葉で表現するのは難しいですが、泳ぎ方がいい感じに変わっていったんです。成長期というタイミングと練習量の多さによって、理想的な筋力が付いたというのもありますね。とにかく色々なことの巡り合わせが良くて、本当、運が良かったのだと思います(笑)」

現役引退を決意したタイミング

20141101_tenma_ex02現役を引退したのはアトランタオリンピックの2年後、20歳のとき。決意したのは、あることがきっかけで選手という枠から一歩離れたとき、ふと自分の本音に気付いたからだった。

「高校時代はアトランタの選考会やインターハイ、国体に出場したのですが、得意の200m平泳ぎの種目で田中雅美(後にシドニーオリンピックで銅メダルを獲得)ちゃんに一度も勝てなかったんです。私はいつも彼女に競り負け全て2位。妙に負け癖が付いてしまった気がして、弱気になってしまったこともありました。『ああ、もう私は勝てないのかな・・・』って。
 日本大学に進学した後も現役を続けたのですが、私が大学1年のとき、競泳・日本選手権のテレビ解説のオファーを頂きまして。解説の仕事は現役を退いた方がやるものだと思っていただけにビックリしたのですが、一歩引いて競泳を見てみるのも勉強かなと思ってお受けすることにしたんです。同世代の選手の泳ぎを目のあたりにしたとき私はいったいどんな感情を抱くのだろうと、内心ドキドキしていました。
 それで実際レースが始まったとき、田中雅美ちゃんの泳ぎを見て「頑張れ!」って全力で応援している私がいたんです。それでもう、引退したほうがいいのかなと。悔しい、と思わなければ競技どころではないですからね(笑)。そう思ったらなぜか、満足感も湧いてきました。選手としてやりきったというか・・・。ちなみに私、引退会見とかもしていないんです。大学在籍中にひっそり、現役生活に幕を下ろしました」

 

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