巻頭企画 天馬空を行く

カレーハウスCoCo壱番屋 創業者 宗次 德二


宗次 二 Munetsugu Tokuji
カレーハウスCoCo壱番屋 創業者
1948年、石川県生まれ。生後間もなく孤児院に預けられ、3歳の時に宗次家に養子に入る。愛知県立小牧高校を卒業後、八洲開発(株)での勤務を経て、1970年に大和ハウス工業(株)に入社。1973年に独立し、不動産仲介業を手がける岩倉沿線土地を開業する。4棟の建売住宅を販売したのち、1974年、妻・直美氏と共に喫茶店「バッカス」を、1975年には珈琲専門店「浮野亭」をオープン。1978年、カレー専門店「カレーハウスCoCo壱番屋」1号店を愛知県名古屋市に開業する。1982年には(株)壱番屋を設立し、代表取締役社長に就任。1998年に同社の会長職に就き、2002年、特別顧問に就任すると共に経営の第一線から退く。「カレーハウスCoCo壱番屋」創業者として、2003年にNPO法人 イエロー・エンジェルを設立し、理事長に就任。さまざまな慈善活動に取り組む中で、2007年にクラシック専門ホール「宗次ホール」をオープンした。

日本人はカレーライスが大好き。家で作るカレーも良いが、「ココイチ」をカレーの代名詞にしているほどのファンも少なくないだろう。
 「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者・宗次二氏は、「妻の作るカレーを自分の経営する喫茶店で売りたい」との思いから、カレーを店の新メニューとしてスタート。そこから、ギネス世界記録にも認定された世界一の店舗数を誇るカレーチェーンを築き上げた人物だ。
 中小企業が大企業に成長する際にはコンサルタントに助言を仰ぐのがセオリーだが、宗次氏の経営は独自路線。それは戦略を駆使しての経営というより、「自らの信念」を強く貫いたものだと言っていい。大手が参入しても決してシェアを譲らず、トップの座を維持し続けられるのは、「現場主義」を掲げ、店の清掃や接客に心を砕く姿勢が客の心を捉えて離さなかったからに違いない。

20140901_tenma_h2-01

インタビュー・文:吉松 正人

敏腕経営者・宗次二氏の意外な一面

20140901_tenma_ex01愛知県名古屋市の中心地、地下鉄栄駅の改札を抜けて地上に出ると、市内を東西に貫く幹線道路「広小路通」に出る。そこから数分歩いたところに、「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者・宗次二氏が創った「宗次ホール」はある。客席数310席からなるクラシック音楽専用コンサートホールだ。

「やあ、いらっしゃい」
出迎えてくれた宗次氏は、想像していた人物像とはまるで違った。「CoCo壱番屋」と言えば、東証一部上場の国内最大手カレーチェーン店。一代でそれだけの大企業を築いた創業者だ、厳格で怜悧、トップダウン型の経営者像をイメージする人も多いのではないだろうか。しかし数々のメディアで拝見する写真と寸分違わぬ顔立ちながら、実際にお会いした宗次氏はソフトで温かみを感じさせる。

「今日は何で来られました?」
そう聞かれたので「地下鉄でまいりました」と返答すると、「じゃあイエロー・エンジェル通りを通って来られましたね」と言う。
 その通り名に聞き覚えがなかったので尋ねると、広小路通の別名、とりわけ栄駅から宗次ホールに至る413mのことだという。もっともこの別名は宗次氏が命名したもので、一般の方には通用しないそうだ(本稿ではイエロー・エンジェル通りという呼び方で統一する)。
 宗次氏は現在、「NPO法人 イエロー・エンジェル」の理事長を務めている。イエロー・エンジェルは芸術家・スポーツ選手の支援、福祉慈善活動などを行う組織。その活動の一環がイエロー・エンジェル通りの美化活動だ。
 宗次氏は毎日、早朝からイエロー・エンジェル通りの清掃、花の植え替え、手入れ、水撒きなどを行っている。確かに、先ほど歩いたイエロー・エンジェル通りは鮮やかな黄色のハイビスカスが歩道の脇、中央分離帯などに咲き乱れていた。宗次氏が名古屋市と協定を結び、イエロー・エンジェル通りの美化を買って出ているのだ。特に掃除は90分以上かけて行う。

早起きにこだわる理由

20140901_tenma_ex03宗次氏の早起きは広く知られている。統計的に見て、創業者は早起きの人が多く、また換言すれば、朝型の経営者は成功するとも言われる。だからこそ最近、出勤前に有志が集まる「早朝勉強会」の類が流行っているのだろう。
 しかし、宗次氏は特別だ。壱番屋の経営を担っていた頃から朝4時の起床を毎日続け、経営を退いた今もそのリズムは変わらない。いや、早くなっている。
 「早起きはたぶん日本一ですよ、ほら」
 タイムカードを見せてもらうと、並んだ打刻印は見事に4時02~03分前後。寸分の狂いもない。出張がある月はタイムカードに空白が作られるが、出張先でも起床は3時55分だ。

「眠くないのですか?」
愚問だと思いながら尋ねてみた。

「眠いですよ。辛いですよ。でも早起きは趣味みたいなもんだから。起きてすぐに外の空気を吸うんです。するとだんだん目が覚めてくる。今日も起きることができたなぁ、よかったなぁ、と充実した気分になれる」

「CoCo壱番屋」でも早起き会を創った。宗次氏が経営を退く7年前、1995年のことだ。すでにCoCo壱番屋は大企業となっていたが、社員有志に呼びかけて「社長塾」とも言える早起き会を創ったのだ。参加はもちろん自由で、だいたい30名前後が集まった。集まったメンバーに対し、宗次氏は自分の経験上培ったノウハウを伝える。特に冬場は寒く、まだ薄暗い。出席率が落ちたこともあったが、この会は2002年5月31日に宗次氏が会長職を退くまで続いた。

「してもしなくてもいいことは、誰もやりたくない。それをやり続けることが“自分自身”の成長につながる」
それが宗次氏のポリシーだ。実際にその積み重ねが現在の地位を築いた。
自分自身という言葉を“会社”に置き換えてみると、宗次氏がどうして早起きにこだわったかが分かるような気がする。

人生は運命の出会いの連続

宗次氏の早起きは、高校時代から始まっている。貧しい家に育った宗次氏は高校時代、友人の父親が営む豆腐屋で早朝アルバイトをしていた。そのお金で学費や生活費を工面していたのだ。
 ある日、友人から5000円でテープレコーダーを買わないかと持ちかけられた。テープレコーダーがほしくてたまらなかった宗次氏は、月々1000円の5回払いで購入することを申し出る。音楽が好きだったからテープレコーダーを買ったのではない。宗次氏はメカのほうに興味を持っていたのだ。
 テープレコーダーを手に入れた宗次氏は、早速テレビのスイッチを入れ、たまたま映った音楽番組を録音することにした。それがN響(NHK交響楽団)のクラシックコンサートだ。その時の曲が気に入り、クラシック好きになった。
 もっともそれ以降、宗次氏がずっとクラシックに親しんでいたわけではない。経営者として第一線で活躍していた頃にはクラシックを耳にする余裕さえなかったという。ところが引退直前、宗次氏は出張中の飛行機内で偶然にも高校時代に録音したクラシックを耳にする。その音楽が宗次氏の琴線に触れた。そして2007年に創ったのが「宗次ホール」だ。
 「あの時、テープレコーダーに録音した音楽がクラシックではなく歌謡曲だったら、きっとこの宗次ホールはなかったに違いありません。まさしく運命の出会い。人生とは、運命の出会いが積み重なってできるものなんですよ」

1 2 3

好評発売中 創刊より7年半、隔月刊誌として奇数月に発刊してきたカンパニーバンクは2013年1月より月刊化しました
amazonからのご注文
2017年9月号
companytalk

巻頭企画には株式会社ワンダーテーブルの秋元社長が登場。飲食業界で数々の改革を行う経営哲学について伺いました。

定期購読のご案内

interviewer's eye

カンパニータンクのインタビュアとして活躍されている各界の著名人たち。本業における信念やその軌跡、そして経営者へのインタビューを通じて感じたことについて、本誌編集局が逆インタビュー。

宮地 真緒 川﨑麻世 水野 裕子 鶴久 政治 駒田 徳広 矢部 みほ 杉田 かおる 時東ぁみ 畑山隆則 大門正明