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Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

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完全手作業による「尖った」ものづくり

1990年、光岡自動車はクラシックスタイルのオリジナルカー「ラ・セード」を発売。限定500台がわずか3日半で完売という逸話を残している。また、1993年に発表した「ビュート」はモデルチェンジをしながら20年にわたって現行車種として活躍。その特徴は現在の日本車にはないヨーロピアン調、とりわけイングランド調のスタイルで、人気探偵映画の主人公の愛車として採用されるほど、そのルックスは独特だ。そうした中で2001年、光岡自動車は東京モーターショー初出展に伴い、1台の車のコンセプトモデルを発表した。国産スポーツカーとして自動車ファンの話題をさらった「オロチ」である。

20140501_ex02「オロチも嫁さんの一言がきっかけだった。嫁さんがスーパーカーを見て、『私もああいう車が好きだな。お父さんのつくるのは古臭い車ばっかり』とか言うわけですよ。馬鹿を言うな、スーパーカーなんてすぐにつくれるわい、そんなたわいもないやり取りがスタートですわ(笑)。そして、MITSUOKAがつくる車である以上、ヨーロッパのスーパーカーと並んでも見劣りしない、小さい子やお年寄りが『こっちのほうがかっこいい!』と思うようなものであるべきだと考えて、デザイナーにハッパをかけたんだ。『優等生みたいな車じゃない、ワルの発想でデザインを考えなさい』とね。日本では子どもたちをみんな優等生に育てようとするけど、みんながみんな優等生になれるわけじゃあない。でも、たとえそうなれなかった人でも、社会に出ると優等生じみた振る舞いをするわけですよ。そんなところで勝負をしても仕方がないし、そもそも面白くない。今までの常識を覆す発想をしなければ、インパクトのある車なんかつくれっこないって思っていた。だから車にも、優等生ではなくワルのイメージを求めていたんだ。そうしたら、蛇革好きのデザイナーが蛇の頭をそのまま車のフロントに当て込んだデザインを考えてきた。それがオロチだった」

オロチのデザインを考案したのは、当時弱冠24歳だった光岡自動車のデザイナー、青木孝憲氏。彼の描いたオロチの原案を見て、光岡会長は言葉を失うほどの衝撃を受け、オロチの実現化をすぐさま決意したという。
 オロチはもともとショーモデル用として発表されたものであり、当初は販売の予定はなかった。しかし、オロチがそのボディを現すや否や、光岡自動車のブースは黒山の人だかりとなり、急きょ入場整理が行われるほどの盛況を博したという。その場で多くの来場者から購入の問い合わせがあったことから、オロチは市販化に向けて動き出す。そして5年後の2006年10月から正式に一般販売を開始。同年には「2006-2007 あなたが選ぶ カー・オブ・ザ・イヤー」のスポーツカー部門賞を受賞、「カービュー・カー・オブ・ザ・イヤー 2006-2007」にて特別受賞車に選ばれるなど、オロチの残したインパクトは絶大なものであった。

「誰しも、心の中には目立ちたい、面白いことをしたいといった欲求がある。そうした潜在的なものを素直に感じ取れたのが青木君の持ってきたオロチのデザインだった。こんな考え方があるのかと、驚かされましたね。実際に1000万円を超える値段の車だけど、日本だけでなく海外からの引き合いも多い。そして、買われたお客様は皆さん満足されていますよ。どこに行っても振り向いてもらえるってね」

光岡自動車の車は、たとえ大規模遊園地の駐車場に止めたとしてもすぐに見つけられるほど、個性的な顔立ちをしているのが自慢だという。そうした存在感を放つ車をつくる、光岡自動車の突き抜けたものづくりの姿勢。それは、会社の組織づくりそのものに起因する。

「僕はあんまり会社を大きくしたいとは思っていないんです。大きくしちゃうと、いろんなものが絡んで自分1人で手綱を取れなくなり、会社も丸くなっていかざるを得ない。でも、光岡自動車はいつまでも尖ったことをやり続けられる会社でありたいですから、規模はこのくらいでいいのかな、と。個人商店みたいに自分の感覚で商売をやり、人をびっくりさせるのが本当に楽しいんだよね。それができた時は『どうだ!』って気持ちになる(笑)。そうした車をつくるためにも、光岡自動車は全ての車を手作業で生産しています。手間と時間はかかるけど、それだけ想いを込めることができるからね。そこまでこだわった車だからこそ値段もそれなりにはするわけだけど、我々の自動車づくりにかける想いやこだわりを汲んでくださる、車が好きで仕方がないという方がいる。そうした方々に評価して頂けているのは自慢です」

光岡自動車が描く、異なる2つの夢

光岡会長には現在、既に実現に向けて動き出している2つの夢があるという。1つは、光岡自動車の本格的な海外進出だ。現行モデルである「ヒミコ」や「ガリュー」はヨーロッパ圏の人々にも評価が高く、とりわけアジアに住む白人の買い手が多いという。そうした反応を受けて、光岡自動車は現在、イギリスを中心としたヨーロッパ圏での販路開拓に向けて、具体的な展開を図っている。
20140501_ex04 そして光岡会長のもう1つの夢、それが「電動実用車」の普及だ。2012年10月に発表された「Like-T3」は、家庭用コンセントで充電できる手軽さで環境にも優しく、それでいてスピードも時速50kmまで出すことが可能。さらに経済産業省の認定する「クリーンエネルギー自動車導入促進対策費補助金」の対象車ともなっており、最大30万円の補助金を活用すれば、廉価版なら100万円程度の価格で購入することができる。
 ファッションカーのジャンルで名をはせた光岡自動車だが、今後は運送などの用途に用いることができる電動車の分野でも展開を図るという。その意図を、光岡会長はこのように語る。

「最近はインターネット通販の普及もあって、運送会社の業績が伸びている。その方面で使える車がないかと考えたのが電動の運送車だった。僕らはもともとファッションカーばかりやっていた会社だけど、実用車の分野でも世の中に貢献したいという想いがあったんだ。しかし、普通の車では大手メーカーとの競争になったらまず勝てない。そこで大手がやらないような、それでいて光岡自動車の良さを活かせるジャンルを探していて、行きついたのがこの分野だった。うちで開発した電動車の利点としては、法的には車じゃなくてトライクに該当するから、ヘルメットも、シートベルトもいらなくて、ドアもない。これは頻繁に乗り降りを繰り返す配達員の方にとっては非常に使い勝手がいいものだ。そして最大積載量は100kgあり、これは配達用バイクの30kgを優に上回る性能。それに車検も車庫証明もいらないんだ。まだ一般販売には至っていないけど、既に大手運送会社には試験的に導入してもらっている段階です。まあ、走っていると子どもが寄ってきたり、日本を観光している外国人が『写真を撮らせてくれ!』と言ってくるようなので、その意味ではまだファッションカーと言えるのかもしれないけどね(笑)」

一般の発想ではなかなか思い至らない、仮に思いついたとしても、実用化にこぎつけるには莫大な労力を要するであろうことが予想できる電動運送車。数々のハードルをクリアする光岡会長の行動原理は「ダメだと思っても、まず崖っぷちまで行ってみろ。そこには下に降りられる階段があるかもしれない」という考えだという。
 光岡自動車の開発した電気自動車は、今ではガソリンスタンドのない過疎地での運用やエコをアピールしたい企業の広告塔としての活用など、当初想定していた以上の用途が顧客から寄せられているという。それも、光岡自動車の「存在感のある車をつくる」という理念が伝わっているからなのかもしれない。

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