一歩を踏み出したい人へ。挑戦する経営者の声を届けるメディア

Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

たかの友梨ビューティクリニック 代表取締役 たかの 友梨


たかの 友梨
たかの友梨ビューティクリニック
株式会社 不二ビューティ
代表取締役
1972年に本場のエステティックを学ぶためにフランスへと渡る。帰国後は美顔器の開発・販売をする傍らで本格的なエステ展開の準備を開始し、1978年に「たかの友梨ビューティクリニック」1号店をオープン。現在では全国123店舗にまで展開し、エステ業界の第一人者として歩み続けている。

女性たちの夢と憧れを担って展開されるエステサロン。美を追い求める女性たちのニーズは確固として存在し、エステ業界はそんな女性たちの味方としてあり続けている。何事にも価格のリーズナブルさが求められる時代にあって、エステの対価はむしろ高額、決して低くはないにもかかわらず、だ。
エステ業界のリーディングカンパニーである、「たかの友梨ビューティクリニック」を展開する(株)不二ビューティ。代表取締役を務めるたかの友梨氏は、女性として職業を持ち、海外に渡り、日本にエステを紹介したパイオニアだ。たかの社長は、どのようにエステと出合い、ビジネスとして成功させたのか。価格競争では勝ち目が薄いと言われる日本のビジネス界が、たかの社長から学ぶべき点は大いにあるはずだ。

自らを「成功者」と公言する
エステ界のパイオニア

“たかの友梨”
ここ日本においてエステティックを語るとき、この名前を抜きにすることは難しい。エステという言葉自体は以前からあったにせよ、業界のパイオニアとして活躍した氏の存在がなければ、エステ業界の今日の盛況はなかったと断言できるだろうし、氏の残した功績に異論を唱える人はいないはずだ。

仏語の「esthetique」は、英語で言うと「aesthetic」、日本では略してエステと言われることが多い。美学あるいは審美眼という意味があり、ダイエットや美白、脱毛など体の美に加えて、精神的な美をも目指す。この目的で導き出された技は、エステサロンという店舗を通じて顧客に提供される。

欧米では長い歴史を持つエステ。日本でも美顔術の名で、明治時代から女性の肌をケアすることは行われていた。ただし、もっぱら顔に限られていたようだ。

一方で、江戸時代の髪結い床に由来する理容師が生まれ、さらに女性向けに美容師が誕生した。美容師は、パーマネントやカットなどヘアスタイルを整えることから着付けまで、1人で幅広い分野を提供する。美顔術も美容師の業務の一環として行われることが多かった。

皮肉にも、美容師が担う分野の1つになったため、美顔術はその後、思うような進歩を遂げることはなく、ビジネスとしても注目されるには至らなかった。対して欧米では専門分化が進み、精神面を含めた全身美容として発達していくことになる。

「日本人は器用ですから、美容師も1人で何でもこなします。とくに女性は、歯磨きをしながら携帯をかけ、料理をするなど、一度に複数のことができます。いろんなことに目が届くからでしょう。男性は、そうはいきません。1つのことに集中するから、男性には突出した技能を持つ人がいるのです。同じように欧米人は、日本人ほど器用ではありませんから、美容業界も専門分化が進み、エステ専業にする人がいて集中して取り組んだ結果、発達していったのだと思います」

そう説明するのは、エステ界のパイオニア、たかの友梨氏。全国123のエステサロンを展開する(株)不二ビューティの代表取締役だ。従業員数1000名超、年商約200億円。ビジネス界の成功者としてマスコミにも多く登場し、自らも成功者であると公言してはばからない。

美は全ての女性にとって、永遠のテーマと言える。顧客も美を求め、夢と憧れの世界に身をゆだね、ひとときのくつろぎを求めてやってくる。美、夢、憧れを提供しているとはいえ、ビジネス抜きでは成り立たない。

しかし、当時はエステ業界の知名度自体がまだ低く、そして女性経営者も珍しい時代であった。そんな背景において、業界のパイオニア、働く女性のパイオニアとして多くの誤解や無理解にさらされてきたであろうことは想像に難くない。しかし、たかの社長は、「つらいことなんてあったのかしらね」と屈託のない笑みを浮かべる。あらゆる出来事を前向きに捉えているからこその発言だ。この捉え方こそが、経営者として、また人としての生き方の美学なのだろう。

近くで見るたかの社長は60歳を超えているとは思えないほど若々しく、瞳は常に輝きを放っている。

不幸のなかに、
成功の根があった

あらゆることを前向きに捉える。一見すれば不幸と思える出来事のなかに、後の幸運をもたらすこともある。たかの社長の場合、幼少時にはすでに美容家としての将来を予見する環境があった。他人から見れば、不幸な出来事だ。

実の両親とは幼くして離別。親戚の下を転々とした後、養母の下で育てられることになった。その間を通して、生活は決して余裕のあるものではなかった。にもかかわらず、美しいものを見出すことは忘れてはいない。

「私を育ててくれた養母は背が高く、とてもきれいな女性でした。一緒に歩いていると、内心、誇らしい気持ちにさせてくれたものです。そのせいか養母の働く姿を見て、『自分も大人になったら仕事を持ちたい』と思うようになりました。しかし、当時は女性が働くことはとてもめずらしいこと。養母がいなければ、現在のたかの友梨はなかったかもしれません」

中学卒業後は理容師の道へと進み、昼間は理容学校へ、夜は定時制高校へと通った。その後も理容店に住み込みで働きながら高校を卒業し、20歳で上京した後も理容店とアルバイトの掛け持ちという過酷な日々を送る。当時の睡眠時間は1日で2〜3時間ほど。そのような生活のなかで、たかの社長はいつしかニキビに悩まされるようになる。

そんな肌を手当しようとして訪れた化粧品店で美しく、感じのいい販売員と出会い、自分も同じような仕事がしたいと考えて化粧品会社に転職。そしてフランスでのエステブームを新聞で知ったことをきっかけに、その技術を学ぶべく1972年に単身フランスへと渡った。1972年、スミソニアン体制により、円が360円から308円に切り上げられた1年後であり、変動相場制に移行する1年前のこと。海外旅行に出かけることすら、庶民にはまだまだ夢とされた時代だった。

たかの社長は当地で「人体が自然に持つ治癒力を活かし、内面からきれいにする」というエステの真髄を技術とともに体得し、帰国後はフランスで見た器械をヒントにオリジナルの美顔器を開発して販売に乗り出す。その結果、効果の顕著な顧客もいれば、さほど変化のない顧客もいた。そこで器械だけを売っていても使い方を知らなければ、思うような効果が得られないと考えるようになる。

実際に器械を使い、美しくなる体験をしてもらえる場を作らなければならない。こうして本格的なエステサロンを開設する準備をスタートさせ、1978年、たかの友梨ビューティクリニック第1号店をオープンさせた。

発想からオープンまで5年の準備期間がある。当時は未知に近いエステを習得するために、やはり未知に近いフランスへの留学を決行した決断力。同時に店舗展開のための準備期間に5年も費やした慎重さ。決断力と慎重さという経営において重要な2つの資質を、たかの社長は当時から併せ持っていたようだ。

「成功の予感のようなものはありました。だから自分では、さほど大胆に行動したつもりはないのです。エステも渡仏も、必要だから実行したというほうが正確でしょう。また、データも大切にしていますので、第1号店からの顧客リストは現在まで1人残らず保管しています。数字も好きですし、コツコツと堅実にやっていく面もあります」

大胆に決断して、地道に努力を続けていく。これもビジネスを成功に導く経営者の美学と言えるだろう。

女性の自立は、
性の自立

男女雇用機会均等法の導入など、ビジネスの世界における男女格差は徐々に埋められつつある昨今。しかしこれまでのビジネス界は男性によってリードされてきた側面は確かに存在するため、そこに経営者として飛び込む女性には何らかの逆風が吹くことは少なくない。

たかの社長はそのようなビジネス界を30年以上も生き抜き、ビジネスの成功、そしてプライベートの充実を実現させてきた。経営者としての自分と、女性としての自分。たかの社長は、その2つをどのように両立させてきたのか。

「誰でもそうですが、女性は強い男性に惹かれます。私も同じで、仕事ができて頭のいい男性に憧れていました。でも30歳で気持ちを切り替えました。強い男性が思い通りになる女性を好むなら、強さは度外視して見た目のステキさに注目しようと。気持ちを切り替えてみれば、ステキな男性はたくさんいました(笑)。この切り替えは正しかったようです。かつて憧れた経営者より、今の自分のほうがもっと大きな成功を手にしていますから」

たかの社長は、「女性の自立は、性の自立」だと言う。仕事とプライベートはきっちり区別し、女性として行動するのはプライベートのみ。仕事では男性か女性かという性から自立し、ビジネス人として行動する。

女性の多くは、男性に依存したくなる傾向がある。それは、男女間をうまく回転させるために生まれた女性の知恵とも言える。しかしビジネスの場においては、別。エステのように顧客やスタッフは女性であっても、取引先や銀行、社員にも男性はいる。

男性に囲まれているからといって、依存しているようでは、ビジネスは成立しない。まして結婚や子育てのために、それまで築いたキャリアを捨てるのはビジネス人ではない。経営者ならなおさらだ。

しかし現実には、性を離れてビジネスに臨む女性経営者は多くはないのではないだろうか。

経営者としてプラス効果をもたらす要素は多数あるが、全てが男性特有のものではない。例えば女性特有の物腰の柔らかさや堅実性などは大いに活かしつつ、ビジネス人としては男性と対等であるべきだと、たかの社長は自らの経験を元に語る。

1 2 3