巻頭企画 天馬空を行く

無私のこころ
すべては「利己」から始まる

ワタミグループスローガン「利他という言葉は、どこか嘘だと思う」と渡邉氏は言う。「人の喜ぶ顔が見たい。『ありがとう』という言葉が聞きたい」と口にする氏に、「利他」という言葉は何ら違和感なく響くように思えるのだが…。

「誰でも、自分が一番可愛いでしょう。それは、ごまかしようのない本能のはず。それなのに、何が利他だ、何が人のためだ、という思いが私の中にあるんです。私がお客様の笑顔のために頑張れるのは、誰でもない“私自身”が嬉しいから。『ありがとう』のために頑張るのは、純粋にその言葉をもらって嬉しい自分のためなんです。つまり、『利己』なんですよ」

利己だからこそ、力が出る。そう氏は言う。だが、人の幸せを受け止め、さらにそれを自分の幸せだと感じるには力がいる。自らの中に、人の感情を受け止める感性と、相手の感情を想像する余裕がなければ、人の幸せを喜ぶことはできないからだ。そういった心の土壌は、「生きる力」そのものだともいえよう。渡邉氏にとって、その力はいつ培われたのだろうか。

「おそらく小学生のときに、最愛の母を亡くした経験が大きいのだと思います」

やんちゃでガキ大将だったという渡邉氏にとって、母は一番の理解者であり、無尽蔵に愛を注いでくれる唯一無二の存在だった。だが氏が小学5年生のとき、その母が病気で他界する。どんなに焦がれても二度と会えない「死」という現実が、容赦なく渡邉氏に突きつけられた。果てない悲しみを埋めたいという渇望と、母の面影を追い求める切実な思いから、中学生になった氏は教会に通い始める。その熱意は愚直と言ってもいいほどに一途で、氏は中学校時代の3年間、聖書しか読まなかったという。

聖書の中で、当時の渡邉氏に最も大きな影響を与えたのは、弟子であるユダの裏切りを受けたイエス・キリストが、十字架を背負ってゴルゴダの坂を上っていく情景だった。その姿は、思春期の渡邉氏の胸に、強く、鮮明に刻まれた。自らの死に際してなお、人を思い、他者への慈悲を持ち続けるその姿は、氏のその後の価値観を形成する大きな要因になった。  「ただ、今私を動かす動機がそこにあるのかどうか、はっきりとは言い切れません。今は私はクリスチャンでもないし、明確に因果関係を説明するのは難しい」と口にする渡邉氏は、こう続ける。

「ただ、何をしたら私が嬉しいのかということだけは、はっきりしている。私の店で食事をするお客さまの笑顔、老人ホームで見るおじいちゃん、おばあちゃんの笑顔。そういった喜びを見ることが、ただただ嬉しい。『人のため』という言葉は、私には正直よく分からない。でも『自分のため』ならよく分かる。実際に嬉しく思う気持ちは確かなものだから」

外食、介護、高齢者向け宅配などさまざまな事業を通じて成長を続けるワタミ(株)の強さは、「利他」ではなく「利己」に原動力をおいている点にある。渡邉氏自身の人生哲学は、そのまま「地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう」という経営哲学となり、さらに細かな行動規範として一人ひとりの従業員まで敷衍し、浸透している。自らの「したい」を行動原則とすることにより、一人ひとりの従業員は自らの動機をエネルギーとして動くことができる。業態を問わず、何千人といる従業員が“自立した”熱源を持ったとき初めて、企業そのものは大きく躍進するのだろう。

「自分がしたいからする、何者にも縛られないで心のままに動く。私は常にそういう状態でいたいんだよね。そのために最も大事なのは、『私』=『無私』になれるかどうか。仕事で目指すべきものと、個人としての信念を一つにできるかどうかが大切だと思っています」

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