巻頭企画 天馬空を行く

株式会社王将フードサービス


株式会社王将フードサービス代表取締役社長。
1941年大阪市生まれ。薪炭・氷販売業の経営を経て69年、義兄の故・加藤朝雄が創業した「餃子の王将」1号店(四条大宮店)に入店。調理現場からサービス、営業などあらゆる仕事を経験し、78年に営業本部長に就任。その後95年に副社長を経て、2000年社長に就任する。赤字経営からの脱却を果たし、2006年には大証1部上場を果たした。

100年に一度とも言われる未曾有の不況。外食産業が軒並み低迷を続けるなか、いささかの影もゆるさない外食チェーンがある。言わずと知れた「餃子の王将」だ。
その強さを支えるのは、いかなる時にも揺るがない「人」という立脚点。
代表取締役社長の大東隆行氏に、経営哲学を聞いた。 。

インタビュー・文:中原陽子 / 写真:?尾佳弘

 開放感のある店内、清潔な店舗、手頃な価格とサービス1960年代後半、第二次資本の自由化によってもたらされたアメリカ型外食形態、ファミリーレストラン。いつどこの店に行っても同じサービスと味を受け取れる、「画一性」が新しいスタイルとしてもてはやされ、その後の長きにわたって外食チェーンの金科玉条であり続けた。
それを真っ正面から否定し、創業来続く飲食業の本来の在り方を大衆に示し続けてきたのが、王将フードサービス「餃子の王将」だ。2009年3月期には連結決算549億円という数字をたたき出し、外食産業で頭一つ抜けた存在感を示す同社の勝因は、「画一性」とは対極の「個性」にある。
代表取締役大東隆行の揺らぐことのない信念により、「人」に何より重きを置いたその経営スタイルは、閉塞した経済状況に一つの問いを投げかける。「人の精神的利潤を経営の資源とする点は、かつての日本的経営の根幹にあったものではないだろうか」と。
泥臭さと洗練、秩序とダイナミクス、団結と独自性、それら相反する要素を「人」を機軸に融合させた、大東流の経営哲学。

幼少から商売に親しむ

 「人の成長なくしては、どんな作用も生まれへん。どんなことでもそうやと思うけど、経営では人が果たす役割が一番大きいんちゃうか」
自身の経営論を、こんな言葉で切り出す大東。1941年生まれの68歳、言わずと知れた株式会社王将フードサービスの代表取締役社長だ。
世界を席巻した金融危機によって、外食産業が軒並み不振に陥っている現在、王将フードサービスでは24カ月連続で既存店売上高が前年同月実績を上回り、2009年3月期には1967年以来最高の売り上げを記録した。
経済危機において、外食産業は打撃を受けやすいそれは一面で事実ではあるが、定説に目をとられると本質を見失うということを、同社の業績は教えているようにも思える。

──それは一面で事実ではあるが、定説に目をとられると本質を見失うということを、同社の業績は教えているようにも思える。

「うちの強さは“人”や。人で成り立っているシステムやから、強いんやと思う」
大東が「人」で成り立つ経営哲学を身につけたのは、本人いわく「知らん、自然にそう思うようになっとった」。だが、10代の頃から、自ら意識しないうちに身を置いていた商売漬けの環境もまた、少なからず影響しているに違いない。

若さを謳歌した経営

 王将フードサービスの創業者である加藤朝雄は、大東の姉の結婚相手、すなわち義兄にあたる。姉と結婚した当初、加藤は燃料の卸と小売を手がけていた。

 「自分はそうやなあ、中学1年くらいだったと思うけど、毎日自転車で炭の配達をしてました。数えてみれば、もう50年も前のことやな」と大東。幼少の頃、長男であった兄が硫黄島で戦死し、父も終戦間際に亡くなった。年頃になった子どもは家の仕事を手伝うのが当たり前で、高校進学を考えていた大東も、「商売に必要なことだけ覚えればいい」と関西経理専門学校に進むことを決める。そこで商売の基礎を習得し、すぐに加藤の仕事を手伝い始めた。そして19歳、義兄の後を継ぎ個人事業として薪炭業を手がけ始める。大東が初めて自らの手で手がけた商売だった。

 「19歳くらいから26、27歳くらいまでしたと思います。若いからよう動いたしそら毎日一所懸命やったけど…、今考えれば、あれは遊びみたいなもんやな」。

 取り扱っていたのは薪炭と氷。薪炭が売れる冬と、氷が売れる夏以外は基本的に体があく。「そら、むちゃくちゃ遊んだわ(笑)。夏に稼いだ金で秋に豪遊し、冬にたまった金で春に散財する。若さを十分に謳歌した商売やった。逆に、そこが当時の自分の限界やったんやと思う。要は、すべて自分の都合で動いてたっていうことや。お客さんやモノの流れについて真剣に考えれば、もっとまともな商売ができたはずや」。

 ただ、現場で汗を流し、人と接して金銭をやりとりする商売は面白かった。自分で事業を手がける面白さを、この時期に大東は知ったという。

 一方、商売気が強く、またそれを現実にする実行力も人一倍強かった加藤は、薪炭業のほかにもさまざまな業種で商売を手がけていた。ホテルの経営、金融業、そば屋の運営…。そのなかで加藤がずっと目標にしていたのが、中華料理屋の経営だった。中国で終戦を迎えた加藤は、現地で中華料理、なかでも餃子のうまさとその大衆性に大きな可能性を感じる。日本では戦後にスタートした大手中華料理チェーン「珉珉」が店舗を増やし、中華料理は大衆に大きく受け入れられていた。1967年、加藤は京都四条大宮に餃子の王将第1号店を出店し、その夢を叶える。2年後に大東が入店し、王将での歩みをスタートさせた。

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巻頭企画には株式会社ワンダーテーブルの秋元社長が登場。飲食業界で数々の改革を行う経営哲学について伺いました。

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