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タレント  水野 裕子
特定の分野やジャンルに縛られず、自らの才能をマルチに発揮する職業、「タレント」。その中で、“芸能界女性No.1アスリート”として数々のスポーツ番組に出演しつつ、クイズ番組や旅行番組、あるいはリポーター・インタビュアという立場でも活躍している水野裕子さんは、まさしく才色兼備のスーパータレントだ。その能力、パーソナリティはどのように育まれたのか──幼少期から現在に至るまで、彼女の活動の原動力を探るインタビュー。

インタビュー・文・編集:カンパニータンク編集部

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野を駆け、虫を捕まえる“野生児”

──水野さんはこれまでにもいくつかのインタビューを受けられていますが、幼少期の頃について、実はあまり語られていないですよね。まずは、その辺りから伺っていこうと思います。

 幼少期の私は、今の私を見て皆さんがイメージする子ども像と、ほぼ一致すると思います。実家の周りは畑や田んぼだらけという環境で育ったこともあって、当時から生き物好きで運動好きだった私は、男の子に混じって虫捕りや川遊び、秘密基地づくり・・・そんな遊びにばかり興じていました。今風に言えば「タンクトップにホットパンツ」でしょうが、分かりやすく言えば「ランニングに短パン」で、虫網と水槽を自転車の籠に乗っけて、真っ黒に日焼けしながら走り回っているような子どもでしたね(笑)。
 それで、中学の進路希望相談の時には「動物園か水族館の飼育員になりたい」って先生に相談したんです。すると「農業高校の畜産科はどうだ?」と勧められ・・・でも、近所には畜産科のある高校はなくて、本気で通うなら寮に入るしかなかったんですね。一応、両親に相談してみたもののにべもなく反対され、私も「遠いから無理だな」くらいの感覚で諦めました。とは言えできるだけ早く自立したいという思いもあったので、高卒で就職するために普通科の高校ではなく地元の商業高校に通うことにしたんです。その高校には経理科・秘書科・情報処理科と3つのコースがあって、運動と同じくらい好きだったPCやプログラミングに関われるという理由で情報処理科を選びました。ちょうど「Windows 98」とかが普及し始める頃だったので、SEになろうと思って。それに、性格的に経理や秘書は合わなそうだとも思いましたし(笑)。

 
オーディションブームから生まれた好機

──当時からとても現実的なキャリアプランを描いていたんですね。そこからタレントの道へ進まれるまでには、どのような経緯が?

 就職のために進学した、と言っても、高校生ですからやはり楽しみたい気持ちもあります。部活は中学でバスケをやっていたので、高校でも入部届を持っていくところまではしたんですけど、監督がスポ根熱血系だということが分かって嫌になってしまって(笑)。結局それで部活には入らず、ダンスやバイトに熱中する毎日になりました。いつしかメガネがコンタクトになり、ジャージがルーズソックスになり・・・今思うと典型的な“高校デビュー”ですよね(笑)。
 ダンスは、ストリートダンスみたいに上手い人が集まっているところに混ぜてもらってやっていたのが始まりで、そのうちスタジオにきちんと通って習うようになりました。舞台実績はほとんどなかったものの、「人前に出たい」という思いは持ち続けていたんです。すると、ある時とあるオーディションの情報が舞い込んできて・・・。当時は、有名プロダクションのスカウティングだったり美少女コンテストだったり、とにかく空前のオーディションブームで、複数の事務所が合同でやっていたりもしました。女優とか歌手とか、何かにジャンルが限定されるわけでもなく、気軽な感じだったので、私も「じゃあダンスでもいいか!」みたいなノリで参加したんです(笑)。
 そうしたら、幸運なことに合格を頂けて──そこからは高校に通いながらグラビアやリポーターのお仕事をこなす、忙しい日々が始まりました。周りの友達が就活して内定をもらって、という段階になる高校3年生の頃になっても、私は変わらずそんな生活をしていて、正直自分では「卒業後1年くらいはアルバイトでなんとかして、そのままタレント活動を続けていこう」と考えていたんですけど、それが騒動の元に。私が通う高校は就職難の時代の中でも就職率が高く、それをプライドにしていたんです。だから、私の適当な進路プランを聞いた担任の先生は、それはそれは怒って・・・(笑)。終いには校長、教頭、教務主任、それに両親を巻き込んだ面談まで開かれ、卒業後に事務所に所属するのを就職扱いとすることで、どうにか学校側にも納得してもらいました。

 
ルーツ・「王様のブランチ」

──ひと波乱あったものの、無事にタレントとしての道を歩み始められたと。船出はどうでしたか?

 実は高校卒業直前に情報テレビ番組の「王様のブランチ」のオーディションがあって、それも幸運なことに合格したんです。4月からのレギュラーが決まって、住む家も決まらぬまま卒業式翌日に上京。自分の進むべき道が、その都度流れの中で決まっていくようで、本当に順調な出だしでしたね。そして、この「王様のブランチ」こそ、私が幅広いジャンルでのお仕事を頂けるようになったルーツでもあります。よく、私がブランチの仕事からアスリート系の仕事へ“切り替えた”と思われている方がいらっしゃるんですけど、そうじゃないんです。そもそものきっかけは、ブランチの取材レポーターとして「筋肉番付」の“SASUKE”に参加させて頂いたこと。しかも、その時は特に活躍したわけでもなく、最初のエリアで失敗しています。にもかかわらず7、8人いる同期のリポーターの中で、「水野は身体を動かす仕事がいいよ」とプロデューサーの方に言って頂いて、そこから「マッスルミュージカル」とか、いろんなアスリート系の番組に呼んで頂けるようになったんです。だから極端な話、ブランチがなければ今の私はなかった。女性のプロスポーツ選手が引退後にそういう番組に出ることはあっても、タレントの身で参加している人間はほとんどいなかったので、珍しがってもらったというのもあるでしょうね。

──アスリート系の番組ではプロスポーツ選手に勝るとも劣らない活躍をされていたのが印象に残っています。やはり、番組に出演するにあたってトレーニングなども積まれていたのでしょうか。

 いえ、特にそのためのトレーニングというのはしなかったですね。「出ているうちに鍛えられた」といった感覚のほうが近いです。好きなことを仕事にさせてもらっていたのでとても楽しかったですし、当時が一番、身体も動きました。私は、もともと何か特別にできることがある人間ではないんです。ただ興味が向いたことに対する強い好奇心があって、「やってみたい」「どうやったら上手くいくんだろう」と考えながら、徐々にできるようになっていく。その繰り返しですね。

 
「専門家」にならないという選択

──水野さんは、人よりもその好奇心のアンテナが敏感なのかもしれませんね。

 そうですね。インドア派・アウトドア派という言葉があると思うんですけど、私は人から「どっち?」と聞かれても答えられないんですよ。天気が良い日に思い立ったように山登りに行くこともあれば、新作のゲームに没頭して何日も引きこもることもある(笑)。とにかく、面白いことをしたいという一心で動いていますね。あと、人に止められたことほどやりたくなってしまうという天邪鬼な性格も関係しているかもしれません。「バイク?危ないから止めときなよ」とか「釣り?餌とか汚くてさわりたくないじゃん」とか、反対されたことはたいがい今の自分の趣味になっていますから(笑)。
 一方で、意識的に何かに取り組んだり、1つのことをずっと続けたりというのは苦手で、自分の課題だと思っています。むかし、ブランチのプロデューサーから「水野は70、80点は確実に取るけど、100点は取らないタイプだな」と言われたことがあって・・・実はそれ、中学の先生にも、親にも友達にも言われたことのある言葉なので、自分はそういう人間なんだろうなと(笑)。お芝居を突き詰めれば女優に、音楽を突き詰めればミュージシャンになるんでしょうけど、私があくまでタレントでいたいと思うのは、何かの専門家にはなりたくない、なれないという感覚が自分の中にあるからなのかもしれませんね。飽き性で、中途半端で、器用貧乏。でも、たとえば「すぽると!」の特集で50競技以上のスポーツに挑戦したり、レポートで全国各地を回って何十何百人の方にインタビューしたりできるのは、そんな性格の賜物だと思っています。その時々で面白がれるのが、タレントである私の一番の長所です。さっき、経理や秘書は自分には合わないと言いましたけど、もし自分が普通に就職して、エクセルでデータを打ち込むだけのデスクワークを与えられたとしても、「10秒で何文字打ち込めるか!?」なんてゲームを勝手に作って、結局楽しんでしまうでしょうね(笑)。

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