曲、人、タイミング──あらゆるチャンスを掴んだチェッカーズは、時代の追い風も受けて一躍スターへと上り詰めた。そのヒット曲の中には、「Room」「夜明けのブレス」「ミセス マーメイド」など、鶴久さんによる作曲のものも少なくない。さらに自身のソロ活動や他のアーティストへの楽曲提供など、精力的な作曲活動を続けてきた鶴久さんに、曲づくりについても語って頂いた。
作曲自体は全く苦ではないですね。これまでに幅広いジャンルの曲を聴いてきましたから、曲のイメージさえ浮かべばあとは自然に出来上がります。それに、僕自身がアーティストとしてステージに立ち、お客さんの反応を直に感じてきたことも、作曲においてプラスになっていると思います。つまり「この曲だとこんな反応が返ってくるだろうな」といったコツみたいなものが、ライブを重ねるうちに分かるようになったんですね。
プロ対プロが戦うスポーツと違って、音楽はプロが一般の方に提供するものだから、いかにその人たちの生活や心に寄り添える曲をつくれるかが重要。だから僕は、作曲の際にはなるべく自分が聴き手に回ったときの感覚を思い出すようにしています。どんな曲なら毎日聴きたいか、泣きたいときや恋人とドライブするときにはどんな曲がいいか──そんな風に考えて、色々なシチュエーションで活きる曲を考えていくんです。衣食住などの必需品と違い、音楽はなくても生きていけます。ただ、それでも音楽は、生活の中に色を放つ大切な役割を果たしていると思うんですよね。だから音楽って素敵だな、と僕は思います。
──いつの時代も、音楽は人の心を豊かにしてくれますよね。しかし、チェッカーズが活躍した1980年代から今まで、音楽業界を囲む状況は劇的に変化してきました。そうした業界の変遷についてはどのようにお考えでしょう。
確かに業界はデジタル化が進んで、CDを買わずとも曲をダウンロードできるようになったりと様々なことが変わってきています。ただ、そうした中でもライブだけは変わらないと思いますね。最近は70年代に活躍したフォークシンガーの先輩方が精力的に活動されていて高齢層のお客さんも元気ですから、そんな事情も手伝いライブの動員数は上り調子になっているそうです。以前、僕も知人の誘いで南こうせつさんのライブに行きましたが、会場の盛り上がりようには驚かされました。印象的だったのは、40年以上歌われ続けてきた名曲を披露するときにお客さんが皆、涙を流して聴いていたこと。その曲を聴いている時間だけは青春時代にタイムスリップできて、しかもそれを皆で共有できる。そうしたことがライブの魅力ですし、いつの時代も変わらないものだと思います。
チェッカーズ時代から、音楽以外の業界でも幅広く活動してきた鶴久さん。近年では「COMPANYTANK」のインタビュアをはじめバラエティ番組にも数多く出演するなど、マルチな才能を発揮している。複数の業界をまたいで活動する中で、どんなことが見えてきたのだろうか。
チームプレーが重要だという点は、どんな仕事であっても同じ。たとえば3人のチームで何かをつくるとして、普通に考えれば1+1+1=3の出来ですが、1人ずつが1.5の力を出せれば4.5のものを生み出すことができる。また、1人の調子が悪くて0.5しか力を発揮できなくても、ほかの人たちが2になるように頑張れば、クオリティを下げずに済みます。そうやって互いに頼ったり助けたりしながらいいものをつくっていくというのは、音楽でもバラエティでも同じです。
この「いいものをつくりたい」「お客さんを喜ばせたい」という思いは、日頃取材させて頂く経営者の方々とある意味で同じなのかなと思います。たとえ業界や業種が全く違っても、どこかしら共感できる部分がありますしね。
また一方で、新たに気付かされることもあります。たとえばIT系企業の経営者の方は、僕が知らない感覚を持っていることが多い。「形あるものをつくる」というよりはコンテンツやシステムをつくったり、直接生身の人間と対峙するのではなく、パソコンなどを介して間接的にお客さんと接したり。そういう仕事をされる方の考えや感性って、すごく新鮮で面白いですよね。
──では、インタビューされる際に気を付けていらっしゃることは?
自分の頭の中を常にクリアにしておくことですね。そうすると自分をニュートラルな状態にできますから、対談に入った瞬間のスイッチの切り替えがうまくいき、会話もフレッシュな気持ちで楽しむことができるんです。あとは、初めてお会いする経営者の方に対して「どんな人なのかな」と瞬時に読み取り、限られた時間の中で少しでもその人の言葉を引き出すこと。そのために相手の緊張をほぐすよう、まずは僕自身がなるべく自然体でフラットに接するように心がけているんですよ。ただ、実はこれってなかなか難しくて、たとえば皆がリラックスして眠っちゃうことが「自然体でいること」ではないじゃないですか(笑)。実際には、適度な集中力をずっと保ったまま不要な緊張を解くことが、自然体でいるコツ。だからこそ、日頃から色々なところを鍛えておかなくてはならないわけです。
──そのプロ意識の高さは素晴らしいですね。最後になりますが、鶴久さんの夢を教えてください。
僕は、夢は描きません。やりたいことは全て、目標やテーマとして掲げます。夢にすると、語るだけ語って終わってしまうことも多いのかなと。目指すからには、僕は必ず実現したい。だから現実的な目標として設定することで、一段一段、着実に上がっていきたいんですよね。
そのうえで大切なのは、頂いたチャンスに対していつでも自分で納得のいく結果を出せるよう、準備しておくことですね。自分のコンディションが整った状態で挑戦して、それでダメなら諦めがつきますけど、準備不足で力を出し切れず失敗、となったらチャンスをつくってくれたスタッフの方々に申し訳ないですよ。
──では、鶴久さんの今描いている「目標」とは?
1つは、活動の幅を狭めずにやっていくことですね。音楽だけをやり続けるよりもプラスアルファで色々なものに触れていったほうが、自分としてはずっと楽しいです。あと、歳を重ねるごとに「1曲でも多く曲を残したい」と感じるようになりました。それも、できるだけ“いい形で残るもの”をつくりたい。そのためには縁やタイミングも重要ですから、やはり「備えておく」ことで、目標をきちんと達成したいですね。
ミュージシャン、プロデューサー、タレントといったあらゆる活動の根底には、一貫して「いいものをつくって、お客さんを喜ばせたい」というストレートで熱い思いがあった。そして鶴久さん自身が語るように、その思いはどんな業界で活躍する人にも当てはまる、忘れてはならない原点の発想と言えるだろう。この先、鶴久さんが目標を着実に形にしていくことが楽しみでならない。
鶴久 政治
つるく・まさはる/1964年生まれ、福岡県久留米市出身。国民的ロックバンド・チェッカーズのサイドボーカルとして、1983年に「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。チェッカーズは1992年のNHK紅白歌合戦を最後に解散、以後はソロとしてCD制作・作詞・作曲・プロデュース活動などを行う。沢田研二や高井麻巳子、岩井由紀子、小野真弓など、約200曲の楽曲を提供。現在はミュージシャンとしての活動のほか、俳優・タレントとしても活躍中。
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