
2017インタビュー・文・編集:COMPANYTANK
駒田さんの身長は191?。プロ野球の日本人野手としては異例の大きさであるが、野球を始めた幼少期から規格外だったという。
──駒田さんが野球を始められたきっかけは何でしたか?
野球好きだった祖父とキャッチボールをしたのが最初です。ちゃんとした試合という意味で初めて野球をしたのは小学校に入学して数日後のこと。あれは土曜日の午後だったのかな、当時からひょろっとして背が高かったこともあり、小学校4年生が中心のチーム同士の試合に縁あって誘ってもらったんですよ。で、記念すべき初打席はデッドボール(笑)。2打席目はレフトオーバーの2ベースヒットを放ち、これくらいなら小1の僕でも同じくらいのレベルでプレーできるんだと思ったのを覚えています。
──当時から大器の片鱗を見せていたわけですね。プロ野球を意識し始めたのはいつ頃からだったのでしょう。
高校2年の秋くらいですかね。地元・奈良県の大会4試合で5本のホームランを打ったとき、もう少し上のレベルでやれるかなとは思いました。とはいえ僕は当時、どうしても大学に進学したかったんですよ。というのも、学歴は決して高くなかった親父から「どんな大学でもいいから4年間しっかり勉強しろ」と言われていて、中学3年生の頃は“東京六大学で野球をやって社会人になる”というビジョンを描いていたからです。生意気なガキですよね(笑)。ただ、勉強の成績は悪かったですから、入れる可能性があるとすれば野球しかない。高校時代の恩師からは「野球で頑張れば大学はなんとかしてやる」と言われていたので、その一心で野球に打ち込んできたんです。
それで1980年のドラフト直前、実は南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)さんが3位で指名してくれるという情報は入っていました。それでも大学に入りたい意志は強かったのですが、蓋を開けてみたら全く考えていなかった読売ジャイアンツが2位指名でしょう。その年のジャイアンツは長嶋茂雄監督が辞任し、王貞治さんが現役を引退されるなど色々と大変な時期で。原監督がドラフト1位で指名された年でもありますが、なんとなく入団しないとまずいなという雰囲気になったことから巨人入りを決意しました。
──大学志望から一転、プロ入りされたわけですが、最初は投手として指名されたのですよね。
スカウトの方からは野手でオファーを頂いていたのですが、春季キャンプの初日にコーチの方から「1年間、投手をやってください」と言われまして。でも僕自身は投手としての才能のなさが分かっていたし、投手をやって芽が出なくて野手になったとしたら僕の性格的に絶対に伸び悩むなと直感的に思ったので「無理です、野手をやらせてください」と即答したんです。今考えるとよくそんなことを言う勇気があったと思いますけど(笑)、翌日にあっさり僕の意向を受け入れてくれたんですよ。
──そのときの首脳陣の寛容な判断が名選手を生んだと言っても過言ではありませんね。それで駒田さんは3年目の1983年、プロ初打席で満塁ホームランを放つという大偉業を達成されます。そのときのことを教えて頂けますか?
前年までお客さんがまばらな二軍の球場でプレーしていたのが、いきなり後楽園球場5万人の観衆、さらに全国ネットで放映しているなかでの打席でしょう、もう震えが止まらなかったですよ。ただすごく運がいいなと思ったのは、相手の投手とは前年、二軍の試合ですでに対戦していたこと。しかも前年に二軍で記録したホームラン7本のうち、実に3本をその投手から放っていたんですね。相性がいいとかそういう気持ちは一切なく、がむしゃらにプレーするなかで偶然に打てていただけなのですが、その意味では巡り合わせが良かったとしか言いようがありません。それで最高の結果に結びついたのですが、ちなみにプロ入り2本目のホームランも同じ投手から打っているんです。不思議な巡り合わせですよね。
あとは自分で言うのもなんですが、よく努力はしていたと思います。正直、僕より確実に素質があるにもかかわらず、芽の出なかった選手もたくさんいました。その点僕は本当に負けず嫌いで、ズルしてでも勝ちたいという気持ちさえありましたね(笑)。
──そうして歴代4位となる13本の満塁ホームランを打たれたわけですが、ズバリ勝負強さの秘訣とは?
僕は昔から集中力のない子だったんですよ。ただしそのぶん、3分ほどの短時間ならば不思議と自分でも驚くほど集中できた。それが助けになりましたね。あとは、大きなことを考えないことでしょうか。例えば満塁のチャンスのときに「自分で決めてやろう」なんて色気を出すと、打席で迷いが生じるので絶対にダメ。好機のときほど、まずは最悪のことを考えることが大切ではないでしょうか。このケースで最悪なのは三振ですよね。最悪の結果にならない最低限の仕事─シングルヒットを打つことだけに集中したのが、最高の結果に繋がっていったと思います。
例えば長嶋茂雄さんみたいな超天才型の選手は好機で自然と好結果が残せるものなのでしょうが、チャンスで怖じ気づいてしまうのが普通ですよね。その感覚を忘れようとするから中途半端になり思い切ったことができないわけで、だとしたらプレッシャーや怖い気持ちをはね除けるのではなく受け入れたうえで、自分に何ができるのかを必死に考えることが肝心です。いわゆる“積極的マイナス思考”ですね。
――それと駒田さんと言えばやはり2000本安打。その数字はいつ頃から意識されたのですか?
巨人から横浜に移籍したとき、初めて2000本安打を目標にしました。世間的にはいい辞め方だと思われてはいなかったですが、本当の理由を言っても誤解されるだけだと思ったので、それならば新天地で頑張って2000本安打を打ち、ファンの方に目に見える形でメッセージが送れたらと。そうすれば「移籍して意外と頑張ったな」と思ってもらえるだろうし、絶対に達成したかった記録でしたね。
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