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タレント  山田 雅人
30年以上にわたりタレント、役者など、幅広いジャンルにおいてマルチに活躍してきた山田雅人さん。最近では、自身が出演する「かたりの世界」での語り手としての活動も行い、表現の幅を着実に広げている。あらゆるものに熱く、真摯に向き合う姿が印象的な山田さんに、これまで歩んできた道のりを語って頂くと共に、経営者インタビューに対する想いなどを伺った。

インタビュー・文・編集:カンパニータンク

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山田雅人さんといえば、タレントや役者、もしくは独演会「かたりの世界」で披露する語り手の一面などをイメージする人が多いのではないだろうか?そんな山田さんにまずは芸能界入りのきっかけを伺うと、意外な答えが返ってきた。

山田 実は、もともとタレントや役者になるつもりは全くなくて、シンガーソングライターになりたかったんですよ。16歳で歌を始めまして、色々なコンテストにも出場していました。ジャンルはカントリー・フォーク。19歳の頃からはライブにも積極的に出演し、なかでも大阪・桃谷にあったライブハウス「BEE HOUSE」では、シンガーソングライターの河島英五さんやブルース・バンド「憂歌団」の木村充揮さんなどと毎週のようにライブを行っていましたね。本気でプロを目指していて、東京に行って音楽で成功しようと決めていたんですよ。

──それほど音楽への強い想いを持っていたにもかかわらず、なぜ松竹芸能に入ることになったのでしょう?

山田 22歳の頃、ライブハウスで松竹芸能の方にスカウトされましてね。当時、僕は歌でスカウトされたと思い込んでいたのですが、入ってみたらお笑いの会社だったんです(笑)。僕のライブに来てくれた松竹の方は、歌と歌の間のトークを聞いて声をかけてくれたそうで。ただ、それでも僕は音楽でプロになりたいという想いを捨て切れなかった。そんなとき、当時の松竹の社長・勝忠男さんが僕に「テレビに出て有名になったら歌が出せるよ」と言ってくれたんです。それからは、その言葉に後押しされるようにさまざまなバラエティ番組に出演させて頂くようになりました。事務所に入って3ヶ月で「鶴瓶と花の女子大生」のリポーター出演が決定、その後「おはよう朝日です」「ざまぁKANKAN!」のレギュラー出演へと続いていったわけですね。
 そうしてタレント活動に精を出していたのですが、地道に実績を積み重ねていったら、30歳のときに本当に歌でレコードを出す機会を頂けたんですよ。しかもプロデュースは伊勢正三さん、アレンジャーは瀬尾一三さん、ギタリストは鈴木茂さんという豪華メンバー。10代の頃から思い描いていた音楽への想いが初めて、それも素晴らしい方々にご協力頂いて形になったんです。勝忠男さんは、当時の新入りだった僕との約束を本当に守ってくれた─。あの方ほど偉大な方はいませんよ。

──まさに、山田さんの恩師であると。その後山田さんは、東京に移り役者として活動の幅を広げていかれます。

山田 そのきっかけをくださったのも、勝忠男さんでした。僕のバラエティでの活動を見て、「役者も向いているかもしれないから挑戦してみなさい」と、経験豊富な敏腕マネージャーをつけて東京に送り出してくださったんです。そこで松竹を円満退社し、34歳の頃に上京。その後は「渡る世間は鬼ばかり」をはじめ、「男はつらいよ」「ぽっかぽか」「サラリーマン専科」など、色々な映画やドラマに出演させて頂きました。

──歌手、タレント、役者とマルチに活躍されていくなかで、どのようにご自身のスイッチを切り替えてこられたのでしょうか?

山田 基本的に僕はどこにいても、何をしていても変わらないんですよ。同じ“山田雅人”のままなんです。正直なところ、何が向いているのかも自分ではよく分かっていない。ですから、勝忠男さんをはじめ周囲の方々に導かれてここまでやってこれたのだと思っています。

 10年ほど前から、独演会「かたりの世界」を行っている山田さん。著名人の一生や歴史に残るスポーツの名場面などを、映像や音楽を一切使わずにマイク1本で語りきる独自のスタイルは、どのように形成されたのだろうか。

山田 もともとは競馬が大好きで、名馬の一生を物語にしたものを楽屋で共演者の方々に向けて話していたんです。それがありがたいことになかなか好評で。その評判が伝わって、放送作家の高田文夫さんから、「名馬物語だと競馬ファンしか分からないから、一般の人により馴染みのあるプロ野球をテーマにやってみたらどうか」と提案して頂いたんです。それで生まれたテーマが、「稲尾対長嶋」。ですから、初舞台は高田文夫プロデュースだったんですよ。それからは競馬や野球に限らず、車椅子マラソン選手の土田和歌子さんやオリンピック金メダリストの高橋尚子さん、作家の森村誠一さん、実業家の松下幸之助さんなど、さまざまな方を取り上げるようになっていったんですね。

──「かたり」という話芸のスタイルに込められた想いを教えてください。

山田 僕が「かたり」をつくるうえで一番大切にしているのは、自分自身で取材して調べた情報をもとに物語をつくっていくこと。メディアなどの二次的な情報のみでつくった物語は、僕にとって嘘になってしまうんです。そのためご本人やご家族、チームメイト、同級生などに取材し、直接対峙して生の声を吸収しながら、そのときに生まれた想いや感情を熟成させてフレーズをつくっていきます。要するに「かたり」は、僕の感性から伝えるものなんです。それが、朗読でも漫談でもないこのスタイルの原点といえますね。この感覚は歌を作詞作曲する際のものとよく似ていて、自分の心が動いたときに物語ができていくんですよ。
 また「かたり」には、芸人としてのトークの“間”ではなく、役者としての芝居の“間”があります。それは、これまでに共演させて頂いた名優の方々から教わった役者としての経験あってこそのもの。そのときの学びを活かしながら、物語の主人公を“演じていく”というわけです。さらに言えば、僕が何年も続けて挑戦している東大受験も、物語の脚本を書くうえで欠かせなかった要素の1つ。受験対策として数多くの小論文や小説に触れてきたことで、文章力や構成力が身につきましたから、「かたり」の物語も書けるようになったんです。
 こうやって振り返ると、歌手、タレント、役者、受験・・・僕の辿ってきた人生全てに1つも無駄はなかったと思います。前を向きながらひたすら点を打って歩いてきて、53歳になった今ふと振り返ってみると知らぬ間に全部つながって線になり、「かたり」ができていたんです。孔子の『論語』にある有名な言葉で、「五十にして天命を知る」というのがあるでしょ。これまでの集大成として「かたり」を行うなかで、この言葉を心から実感できたんです。

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