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―監督の意向というのはファンが想像する以上に、選手に大きな影響を与えるものなのですね。チームカラーも変わるのでしょうか。

 監督が変わればまったく違うチームになります。前年と同じユニフォームを着ていたとしてもね。個人的なことで言えば、奮起させてくれたのが二軍監督時代の岡田さんやね。常に選手側の立場に立ってくれて本当にありがたかった。選手の操縦法に長けていると思ったのが星野監督。今なお楽天の監督としてご活躍中ですが、本当にすごいなと感じます。

―チームをまとめるという意味では、2005年に選手会長として優勝に大きく貢献されました。

 そのきっかけは2004年、一軍の監督に就任したばかりの岡田監督から、選手会長の打診を受けたことでした。本音を言えばやりたくなかった。だけど岡田監督に恩義を感じていたので、岡田さんを胴上げするまで頑張ろうと思ったね。
 チームリーダーとして心がけたのは、自分の行動や振る舞いが組織に与える影響を常に考えることでした。プレーで結果を出すのは当たり前。野球以外の部分、例えば打撃投手やマネージャーさんといった裏でチームを支える方々への感謝の気持ちは、意識して積極的に伝えるようにしたんです。その何気ない言葉を積み重ねることで、組織の雰囲気が変わっていくのを感じたね。
  それとミーティングで実践したのは、常に優勝を前提として喋ること。「優勝して当然」という振る舞いをし続けることがチームを引っ張ることだと思っていたし、それで実際に2005年に優勝できた。何も大きなことをする必要はありません。どんな組織であれ、リーダーのちょっとした気遣いや言動によって、結果は大きく変わってくると思います。

―輝かしい活躍から一転、2005年を境に出場機会が年々減り、引退か他チームへの移籍かという決断を迫られます。そのときの心境はいかがでしたか?

 多くの方々から「引退後のことを考えたら阪神で終わったほうがいい」というアドバイスを頂きました。ただ、確かに阪神で現役を終えたらその後の仕事に繋がりやすいかもしれませんが、果たしてそれで幸せなのかなと。現役を退くつもりはなかったし、必要な人材ならばレールを外れたとしてもまた声がかかるはずだとシンプルに考えたら、移籍するデメリットなどない。結果、個人的には満足な成績を残せなかったけど、千葉ロッテに移って本当に大正解だった。つまりその最後の3年間が財産だったと言い切れるだけの、何かをお見せできる自信があるということやね。だからこれからの自分に期待してください。

―千葉ロッテで迎えたラストイヤーの2012年には、選手兼任コーチを経験されています。

コーチとしては月並みながら、人を動かすことの難しさを学びました。その頃はもう、僕に相談にきた選手がホームランを打つことのほうが、自分が打つよりも嬉しいと感じていたね。もちろんその感情は選手のまえでは出しませんが(笑)。あとは「選手としての能力」と「選手を見極める能力」は全くの別物であると実感した。だから今後は指導者として後者の能力を身に付けるために、色々な世界を経験したいと素直に思うね。

自らのキャパシティを広げるため現場から離れ、2013年より野球評論家として歩み始めた今岡さん。日々、どのような姿勢で仕事に臨んでいるのだろうか。

―野球評論家として日々、どんなことを大切にされていますか。

 色々なことを自分の目で見て回る。これしかない。試合中にお客さんがどんなプレーにどんな反応をするかというのを冷静に観察してみるというのも1つの勉強やね。マスコミが何を伝えたいのか、何を求めているのかを肌で感じるのも勉強。現場を客観視することで、視野が広がったような気がしますね。解説者としてはオブラートに包まず、思ったままをそのまま喋るのが僕のスタンスです。

―現役を離れた今、逆に野球以外でやってみたいことなどはありますか?

そうですね・・・何もしないのも幸せだよ(笑)。今は早起きも、ストレッチもマッサージも、トレーニングもしなくていい。それだけである意味、最高やね。

―なるほど(笑)。カンパニータンクのインタビュアとしてはどのようなスタンスで臨まれているのでしょう。

 様々な職業の方々が、日々どういう感覚で生きているのか、仕事をしているのかというのを知るのは、自分のキャパシティが広がるという意味でも、非常に有意義なことだと感じています。対談時に各経営者の方々が語ってくださったことは、全て野球に置き換えることができるんですよね。それは「どちらも人間のやること」だから、なんです。人がやるから喜びがあり、不安があり、希望がある。色々な思いを抱えながらやるのは絶対に一緒。共通することだらけですよ。もしかしたら逆に相手の方にも「一緒だな」と思ってもらえることもあるかもしれない。色々な方々とお会いし、多くのことを学ばせて頂けたら嬉しいですね。
 僕からあえて皆さんに言わせてもらうことがあるとするなら、「頑張っていれば奇跡は起きる」ということでしょうか。例えば歴代3位のシーズン147打点という途方もない数字を叩き出せたのは、ミラクル以外の何ものでもない。でも、奇跡は誰の身にも起こります。僕も今、次の奇跡を探して頑張っている最中です。

―では最後に、今岡さんにとって「野球」とは?

普通ならここで「人生」と言う人が多いし、そう答えたらかっこいいんやろうけど、僕はそうだな・・・、「家族」という言葉が一番しっくりくるね。この答えに繋がるかどうかは分からないけど、僕は今でも球場に行ったとき、選手の感情ばかり気になるんですよ。「この選手は気持ち良くプレーしてそうやな」とか「気乗りしてないな」とか、そういうところばかりが。

 プロ野球選手は一つひとつのプレーが査定や評価、ブーイングやヤジなどに直結するだけに、感情をコントロールするのが難しい。その意味で現役時代は、ピッチャーの精神状態をいつも気にするようにしていたね。若いのにピンチに全然動じず向かってくるなとか、二軍落ちを怖れて弱気になってるなとか、そうした投手心理はしっかり観察していれば見えてくる。どういう精神状態で臨んでいるかで、意外と対戦するまえから8割くらいは結果が出ているような気もするな。

 だからもし僕が指導者になったら、選手がやる気になっているときに技術的なことを教えてあげたいね。それが選手の自信に繋がる最良の方法だと思いますから。選手が自信を持てていないときは何を言っても無理。ほっといてあげるのが一番なんです。普通とは逆の発想と思われそうですが、これも野球を「家族」と思っているからこそなのかもしれない。引退して初めてその質問を受けたけど、この先どこかで同じ質問をされてもきっと、「家族」と答えるやろね(笑)。

今岡さんの現役時代は、本人の言葉を借りれば「超成功と超失敗を経験してきた」選手というイメージが強いが、その理由として一般的には「天才肌だから」との言葉に集約されがち。しかし真摯に本音で語ってくださる今岡さんと触れ合うなかで、求められたことに対して100%で応じようとする真面目さと柔軟性、才能を兼ね備えた稀有な選手だったから、ということが分かり感銘を受けた。そうした誰にも味わうことのできない喜びや苦悩のなかで培われた一人間としての器は果てしなく広い。今岡監督誕生の瞬間が、今から楽しみでならない。

(取材 : 2013年11月)

今岡 誠 いまおか まこと

兵庫県宝?市出身。PL学園高等学校、東洋大学を経て1996年、ドラフト1位で阪神タイガースに入団する。内野手のレギュラーとして頭角を現し、2002年には二塁手としてベストナインに初選出。2003年に首位打者、2005年には打点王を獲得するなど、リーグ有数のスラッガーとして活躍する。2010年に千葉ロッテマリーンズへ移籍。選手兼任コーチとなった2012年を最後に現役を引退した。現在は野球評論家として活動中。

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