
インタビュー:カンパニータンク企画部 文・編集:カンパニータンク編集部
タージンさんと言えば、リズミカルではっきりとした滑舌から繰り出される漫談風のトークが特徴である。聞いている人が自然と笑顔になるようなそのトーク術の発祥について、まずは伺った。
タージン 僕が小学生の頃、家族で数ヶ月に一度、道頓堀角座に寄席を見に行っていたんですよ。僕はそれが楽しくて楽しくて仕方なかった。途中、家族が飽きてきて「帰ろう」と言い出しても、僕は最後まで見たくて見終わるまでは頑として席を動きませんでしたね。スポットライトを浴びて、舞台の上で揚々と話す演者さんの姿に憧れていたんです。
そして中学生にあがった時、先生に大学で落語研究会に所属していた方がいたんですね。その先生は授業中に落語を話したり、生徒を壇上に立たせて1人ずつ小話をさせたりしていたんですよ。僕はもともと落語を聞くことは好きでしたが、その時に「落語は話すのも面白いな」と思いましてね。こうしてどんどん落語の魅力の虜になっていったんですよ。
進学した高校には、珍しく落語研究会がありまして、落語の魅力に嵌っていた僕はすぐに入部を決めましたよ。すると、入部した人は学年で僕1人、男子部員も僕だけで、あとは女子の先輩だけ。週に2、3回ミーティングをするんですが、出るのは落語とは関係のない話ばかり(笑)。おしゃべりで愉快な先輩たちでしたよ。
当時、落研へ男子が入部するのは珍しいことだったので、その話がOBへ伝わり、僕に会いに来た人たちがいました。それが落語家の3代目桂小春団治さんとお笑いタレントの北野誠さん。お2人とは現在まで長く交流させて頂いているんですが、出会いは高校時代だったんです。素人名人会の応援として北野誠さんがきてくれたこともあったりと、今考えればとても贅沢でしたね。
高校3年生になると進路を考えなくてはいけませんよね。僕は落語家になりたいと思う一方で、落語の世界はまるで未知の世界だったので不安もありました。しかし、「好きなようにしなさい」というのが両親の教育スタンスだったこともありまして、大学で落研に入って手ごたえがなかったらサラリーマンになろうと決め、落語研究会が有名な桃山学院大学に進学しました。
─大学在学中のタージンさんと言えば、学生でありながら「お笑いスター誕生!!」での7週勝ち抜きが有名ですよね。それがきっかけで、次第に脚光を浴びるようになりました。
タージン 当時はまだ1年生でしたし、洒落のつもりで色々オーディションを受けていたんです。「お笑いスター誕生!!」では、桃山学院大学と青山学院大学を比べるネタをやったことがありましてね、審査員を務めていた漫画家の赤塚不二夫さんがとても気に入ってくださいました。それが交流のきっかけとなって、東京にあった先生の部屋へ遊びにいくようになりまして、部屋にある先生の映画や舞台などの様々なレーザーディスクを好きに見ていいよと言われたんです。「映画は観なきゃ駄目だ。落語も聞かなきゃ駄目だ」─先生にそう言われて、それからはとにかく色んなものをたくさん観て、感性を養うという教えを受けました。本当に良い経験でしたね。
同じ年、誠兄さんの紹介で地元のスナックでアルバイトをしていたんです。スタッフもほとんどが男性の女っ気のないスナックでしたが、ここでまた1つの大きな転機がありました。仲良くなった常連様にレコードの営業をしている人がいましてね、その人がテレビ局に営業に出向いた時、番組ディレクターに「素人で面白い奴いないか?」と尋ねられ「タージンという奴は面白いですよ」と答えたそうなんです。そうしてトントンと「どんぶり5656」という深夜番組への出演が決まったんですよ。
─落研やオーディションでの出会い、アルバイト先での繋がりなど、タージンさんの転機には必ず素晴らしいご縁がありますね。
タージン そうですね。気づいたら、色んなご縁から仕事を頂くようになりました。そういった意味で僕はツイていたと思いますし、人との出会いというのは非常に大切なものなんだと実感いたしました。そうして、自然の流れでテレビ業界に足を踏み込み、リポーターとしての活動を始めたんですよ。