―と言いますと、2度目は?
内藤 最初の世界挑戦です。引き分けの後は再び新人王戦に挑戦してタイトルを獲得、引き分けに終わりましたが日本王座にも挑戦しました。そんな中で27歳の時、タイに行ってポンサクレック・シンワンチャー(ウォンジョンカム)と戦うチャンスを頂けたのですが、たったの34秒で負けてしまいました。その時に思ったのは、はっきり言ってレベルが違うなということ。練習していたことはできていたのに、さらにその上を行かれてしまっていたのです。ポンサクレックにはその後もう一度挑戦するのですが、やっぱり負けて・・・。その時点で潮時と感じ、ボクシングは辞める気でした。結局は続けるんですけどね。
―では、そこで内藤さんを引き留めたものとは何だったのでしょうか。
内藤 フィリピン人のパートナーに引退の報告に行ったら、彼らが言うんですよ。「何で辞めるんだ、まだできるだろ?」って。最初は「コノヤロー、人の気も知らないで」って思ったんですけど(笑)、だんだん彼らのポジティブな考えが好きになってきちゃって。ネガティブ人間だった自分にとって、彼らの前向きさがすごく心地よかったんです。「またあいつらと練習したいな」と思って、現役を続行。そしてジムの会長などの尽力もあってポンサクレックに3度目の挑戦をするチャンスを頂き、ようやく勝って世界王者になることができました。もう33歳を間近に控えた時でしたね。
―3度目の挑戦の時は、ディスカウントストアのドン・キホーテさんのスポンサードが話題になりましたよね。
内藤 世界戦というのはすごくお金がかかるので、ドン・キホーテさんがスポンサーになって頂けなければ世界戦の開催すらできませんでした。本当に感謝していますし、だからこそ、「こんな俺のために、これだけ応援してくれる人がいる。期待を裏切ることはできない」って思ったんです。
この時だけでなく、僕は常にプロとして、お客さんのことを考えてボクシングをしてきました。試合以外でも、時にはポスターを自分で作って注目を浴びようとしたことも。そして、ボクシングのチケットは安いものではないにもかかわらず、お客さんはわざわざお金と時間を割いて僕の試合を見に来てくれるわけです。だから僕はプロとしてふさわしい試合を見せなければいけません。無様な姿は見せられませんし、準備を怠るわけにも、ましてや試合中に諦めるわけにもいきません。死にもの狂いでトレーニングをして、苦しい時もお客さんやスポンサーさん、そして家族、応援してくれる人の存在を思い出して戦いました。その集大成が、世界王者という結果に繋がったのかなと。
―世界王者になられて、変わったことはありましたか?
内藤 生活は確かに大きく変わりましたが、同時に心境の変化も大きかったです。まず、応援してくれた人たちに少しは恩返しができたかな、と感じました。しかしそれで終わりではなく、もっともっと喜ばせたいという気持ちは強くなりましたね。ですから、時にはトレーニングのし過ぎで周りから止められることも。常に「まだまだ」「まだまだ」と思いながら練習をしていました。これは母の教えによるところも大きいと思います。
ちなみに、僕は母には一度も褒めてもらったことがないんです。日本タイトルを取った時も、世界タイトルを取った時も。でも、母に自分を褒めさせたかったというのは自分のモチベーションでもありました。それは結局、叶わなかったのですが(笑)。