
インタビュー:カンパニータンク企画部 文・編集:カンパニータンク編集部
WBC世界フライ級王座を17度防衛したタイの英雄、ポンサクレック・ウォンジョンカムを破って世界王者に輝き、自身でも同タイトルを5度にわたって防衛した、2000年代の日本ボクシング界を代表する名ボクサー、内藤大助さん。ボクシンググローブを手に取った理由は、非常にシンプルなものだった。
内藤 僕がボクシングを始めたのは20歳の頃だったんですけど、きっかけとしては、家の近所にボクシングジムがあるのを雑誌の広告で知ったことなんです。いろんなところでお話ししていますが、僕は学生時代にいじめられていた経験があって、人を怖がるところがありました。そんな自分を、ボクシングによって少しは変えられるんじゃないか、と・・・。プロボクサー、ましてや世界王者なんて、夢にも思っていませんでしたよ。護身術というか、「少しは強くなれたらいいな、地元に帰ってもいじめっ子になめられないようになりたいな」、そんな動機です。
―ボクシングを実際に始められて、いかがでしたか?
内藤 最初のジムではあまり指導をしてもらえなかったので自分でいろいろ調べながら練習していたんですけど、やればやるほど面白くなっていきましたよ。次第にもっとレベルの高いところでボクシングを教わりたいと思うようになり、東京都葛飾区にある宮田ボクシングジムの門を叩きました。そこには、夢を持って真剣にボクシングに打ち込む人たちがたくさんいたんです。それこそ、アルバイトをしながら世界王者を目指しているような人も。純粋にカッコいいと思いましたし、影響も受けました。「俺も夢を持っていい、プロボクサーを目指していいんだ」って。子どもの頃は周りの大人から「大それた夢を持つな」と言われ、それに反発していた僕にとっては、夢を持つ人たちと触れ合えることが本当に嬉しかったんです。
―そこから本腰を入れてプロを目指されていったと。デビュー戦は22歳の時でした。
内藤 22歳と言えば、井岡一翔選手(現:WBA世界ライトフライ級王者)が初めて世界タイトルを獲得した年齢です。はっきり言って、プロボクサーのデビューとしては遅い部類に入るんですよ。当然、周りの同世代は既にプロとしてキャリアを積んでいます。そんな中でキャリアの差を埋め、試合に勝つためにはどうすればいいかを考えました。普通のことをしていただけではだめだと思ったんです。
―それが、内藤選手の代名詞とも言えるトリッキーなスタイルに繋がるわけですね。
内藤 あれは、実は僕が学生時代にやっていたスポーツの動きを取り入れているんです。具体的に言えば、剣道、卓球、ハンドボール。特にハンドボールなんていうのは、一瞬の駆け引きがものを言うフェイントのスポーツ。ボクシングに流用できるところは多かったですよ。
遅咲きのボクサーとして、創意工夫を常に行っていたという内藤さん。デビュー後は日本王座、東洋王座、そして世界王座までも獲得する。しかし、その歩みは順風満帆なものではなかった。心が折れそうな時、内藤さんを支えたものとは何だったのだろうか。
―デビュー後はかなり順調に勝ち星を積まれています。
内藤 連続KOで勝ち進むことができましたが、4戦目となる新人王の試合で相手を倒せず、引き分けになってしまったんです。相手のほうが僕よりスタミナがあって、一度はダウンさせたにもかかわらず根負けしてしまいました。それが本当に悔しくて、ダサくて・・・それが最初の挫折です。