プロサッカー選手を目指し15歳で単身ブラジルへ。しかし、右目を負傷し帰国。6度にわたり手術するも回復せず失明し、サッカーの道を断念する。そのショックから一時は精神的に落ち込んでいたが、夢を支えてくれた父の言葉で再起し、鈴興(株)に入社。跡継ぎとして経験を積み、2016年に35歳で代表取締役に就任した。
鈴興 株式会社 | |
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住所 | 〒433-8111 静岡県浜松市中区葵西2-5-15 |
URL | http://suzukoh-970.co.jp/ |
静岡県浜松市を拠点に置き、自動車用アルミホイールをはじめ多様な商品を取り扱う老舗商社・鈴興(株)。社長の鈴木博彦氏は創業当時から続く「人間尊重」「相互信頼」「共栄共存」の理念を守り、さらに独自の視点・哲学から日本社会全体の未来を考えた事業展開を行っている。社長の口から語られる熱い言葉を、俳優の名高達男さんが掘り下げていくインタビュー。
失明を乗り越え家業へ
名高 鈴興(株)さんは、創業50年以上の歴史をお持ちだそうですね。まずは沿革をお聞かせいただけますか?
鈴木 当社は私の祖父が1950年に立ち上げた日本初の自動車用アルミホイール製造会社、エンケイ(株)をルーツに持ち、商社機能を担う会社として1970年に設立されました。その後、アルミホイール、液化天然ガス(LNG)、液化石油ガス(LPG)など金属や燃料を中心に取り扱う商品を増やし、現在は工業用資材やLED照明、家具・衣類に至るまで1000種類以上の品目をそろえております。
名高 それはすごいですね。品目の多さに商社としての確かな足跡を感じます。鈴木社長は、幼少期から老舗を継ぐことを考えていらしたのですか?
鈴木 いえ、実は10代の頃はサッカーに打ち込んでいて、15歳で単身でブラジルへ渡りました。しかし、ユースチームに所属してプロ契約を目指していた矢先、右目に網膜剥離を発症し、帰国して6度の手術を行ったものの、その甲斐なく失明してしまって――そこでサッカーの道は閉ざされ、手術と失明のショックから精神疾患も患ってしまったんです。
名高 おつらい経験をされましたね。再起のきっかけは何だったのでしょうか?
鈴木 1年ほど闘病生活を送り、少し良くなってきた頃、父が「ちょっとうちで働いてみないか」と声を掛けてくれたんです。父は私がブラジルへ行く際、会社に借金をしてまで夢を後押ししてくれました。これまで自分のわがままを許してくれた父の誘いを断るわけにはいかないと決意を固め、家業に入った次第です。そうして2016年に、父から事業を引き継ぎ代表取締役に就任しました。
理念は人間尊重・相互信頼・共栄共存
名高 まさに人生のどん底から這い上がってこられた鈴木社長。事業に立ち向かうポリシーや鈴興(株)さんの社風について、ぜひ、詳しく教えてください。
鈴木 当社は、祖父の代から「人間尊重」「相互信頼」「共栄共存」の3つのポリシーを掲げています。事業というものは相手を尊重しなければ前に進みませんし、お互いの信頼も生まれませんよね。そして、この2つの条件を満たすことで、共栄共存ができるのです。どんなに時代が進もうと、この基本的な哲学は絶対に変えないようにしています。また、「お客様・信用・社会貢献」の3つがそろって初めて事業が成り立つという、「客信社事」も重要な理念です。社風としては、給与・ボーナスをしっかり支払い、皆が安心して働ける環境を整えつつ、社員一人ひとりの個性を伸ばしていくことを重視しています。その一環として、大型自動車免許や危険物取扱者などの資格取得も積極的にサポートしているんですよ。
名高 会社で資格取得を後押ししてくださるというのは、スタッフさんにとってはスキルアップにつながりますしモチベーションが上がりそうですね。
鈴木 もちろん社内で活躍してもらいたいという思いもあるのですが、仮に当社を離れて他の場所で働くことになったとしても、そこで通用するように資格を取ってほしいと私は考えています。人間同士のことですから、当社の社風が合わないというケースもあるでしょう。そうして辞めていく社員たちにも、路頭に迷うような思いはさせたくないですし、新天地で社会貢献をしてくれればいいと思うんです。
名高 会社を離れるスタッフさんのことまで考えていらっしゃるとは驚きました。鈴木社長の人情がうかがえます。
鈴木 当社は今、26名体制で動いており、この規模だと社員のことはもちろん、その家族を含めた背景がすべて見えるんですよ。だから、どうしても皆に“情”が移ってしまう部分はありますし、大手企業のようにドライになろうとせず、私はそうした“情”の部分を大事にしたいと考えています。
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