16歳から苦学生となり多種多様な職種を経験。大学卒業と同時に警備会社に入社し今日まで警備業一筋で歩む。最初の会社が傾いた時は最後まで番頭として背負い切り、次の会社では東日本大震災直後の東北に乗り込み、ゼロから4億円規模に育てたキャリアを持つ。2021年起業。

タイキ 株式会社 | |
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住所 | 〒166-0003 東京都杉並区高円寺南4-23-5 ACPビル7F |
URL | https://taiki.pw/ |
矢部 大武社長は、どのような経緯で警備のお仕事と出合われたのですか?
大武 私は福島出身で、醸造業を営む家の長男でした。中2の時に家は倒産、一家は熱海に移住しましたが、すぐバラバラに。そんな環境でしたので家族愛は強いですね。自分も生きていく力を身に付けようと思い力仕事を含め数多くの仕事に挑みました。大卒後、叔父の友人の紹介で警備会社に入ったのですが、学校を出たての私には右も左も分からず···しかも会社から仕事の説明・教育はなく4日間昼夜連勤、パワハラもありました。
矢部 厳しい環境だったのですね。辞めようとは思われなかったのでしょうか。
大武 もちろん思いました。しかし父に相談すると「お前の履歴が汚れる。3年は辞めるな。お前が将来どんな人間になろうと、履歴が転々とする人間はどこへ行っても相手にされない」と撥ね退けられました。父には感謝しています。私の履歴は当社を含め4社しかないですから。優秀な人が多くいたものの皆辞めてしまい、引き換え私は役職が上がり相応の実力が身に付いていきました。目の前の問題から逃げない生き方をしたことが、ゴルバチョフ氏など国際的重要人物や国内大企業の警備を責任者として任されることにつながったと自負しています。
矢部 ある意味で、満を持しての起業だったと思います。会社設立に際して、どんな思いを抱かれましたか?
大武 ビルメンテナンス会社の代表からお話をいただき即座に応諾しました。起業に際しては「いろんなタイプの人が力を発揮できる」「それぞれが無理のないステージで明るく働ける」「実力が付いた人は見合ったポストにステージアップできる」「現場と事務所が一体」「大きな目標に向かって歩む」、そんな会社をイメージしました。私自身の集大成ですね。
矢部 さまざまな経験を積んでこられた社長ならではの発想ですね。では、現在の事業についてもお聞かせください。
大武 最初の仕事は東京・名古屋での他社職員に対する教育でした。肝心の警備は岐阜・愛知・兵庫の予定がコロナ禍の影響でキャンセルとなり苦しい船出でしたが、広島・目黒・幕張メッセ・丸の内KITTEビルその他警備と、浜松町・福山市の常駐警備の仕事をいただき、また新型コロナウイルス軽症者宿泊施設の常駐警備も2件受注しました。高品質な業務を行いつつ水準以上の対価をいただき、働く方へ還元する理想に邁進中です。
矢部 最後に、会社としての将来のビジョンについて教えていただけますか?
大武 私はセキュリティプランナーの資格を保有し、時代やニーズの変化に対応したご提案を行う訓練を受けております。また当社には優秀な人材が内外ともにそろっております。身の丈に合わせて成長を続ける所存ですが、地道に力を蓄え、時が来れば龍のように天まで昇ってみたいです。東北時代にアスリートだけでスペシャルチームをつくり大成功したので、次は女性チームを手がけます。

GUEST COMMENT
矢部 美穂
警備会社は数あれど、「どの会社に入るか」で働く人の環境・人生は大きく変わると、大武社長のお話をうかがう中で感じました。海外著名人の警護経験もある社長の下で働くことで得られる人脈や経験値ははかり知れません。これから警備の仕事を志される方には、ぜひ知っていただきたい会社ですね!