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株式会社 RIFRON

大手運送会社を経て中古車販売店の営業や酒販店の配達を経験。知人の縁で軽貨物運送ドライバーに転身する。2021年、30歳で(株)RIFRONを創業。社名は「Rise from nothing」を短縮した造語で、何もないところから躍進していくという強い決意が込められている。

株式会社 RIFRON
住所 〒223-0057
神奈川県横浜市港北区新羽町1700-4
ヴェルエトアルⅡ202
URL https://rifron.co.jp/

 平賀社長が運送業界で独立された経緯を、まずはお聞かせください。

平賀 私は20歳から大手運送会社で働き始め、その後は中古車販売店に就職して営業職を任されていました。仕事は楽しかったものの、休みなく仕事し続ける日々に疲れを感じるようになってしまい・・・。それで27歳の時に転職して酒販店の配達の仕事を始めました。その頃、転居したマンションにたまたま小学校の同級生が住んでいて、彼女のパートナーが、軽貨物運送会社を経営していたんです。

 偶然の出会いが、社長の人生を大きく変えることになった、と。

平賀 はい。その方と一緒に仕事をして多くのことを学ぼうと考えた私は、軽貨物運送のドライバーとして独立しました。また、その方との出会いを機に、20歳の頃に抱いていた「経営者になりたい」という思いが再び芽生えたため、ここが人生の分岐点だと決意し、2021年6月に当社を創業した次第です。現在は個人のドライバーさんと連携しつつ、定期配送や個人宅配送、スポット配送などの軽貨物運送業を展開しています。

 経験を積まれ、ドライバーさんをまとめられる立場になられたのですね。では、社長の経営方針を教えてください。

平賀 この業界には、拘束時間が長く人材の出入りが激しいなど、悪いイメージを持たれる部分があると思います。ドライバーを“コマ”のように扱う業者がいるのも事実です。だからこそ私は、ドライバーの育成を丁寧に行ったり、表彰制度を設けたり、待遇を改善しつつ業界改革を図っています。さらに、「軽貨物卍會」という集団をつくって、同じ思いで軽貨物運送事業を手がけている会社と共に、軽貨物ドライバーの地位向上と発展に貢献したいとも考えているんです。

 素晴らしいビジョンをお持ちなのですね。なぜ、平賀社長はそこまで熱い思いを抱くようになったのでしょう?

平賀 私自身、軽貨物運送業に引かれたのは、荷物が多く配達に苦しんでいる仲間を互いに助け合う精神が息づいているからでした。しかし同時に、配達中はどうしても孤独になってしまうのがドライバーの宿命なので、私は「早く配達が終わったらご飯に行こう」と積極的に声を掛け、親友や家族のように接することを普段から心がけているんです。

 ドライバーさんの幸せを、ここまで真剣に考えていらっしゃる方とは初めてお会いしました。社長なら、軽貨物運送業界をより良く変えられると思います!

平賀 ありがとうございます。私は、つらい時にも仲間に支えられながらここまでやってきました。今度は自分がこの業界から受けた恩を何倍にも大きくして返し、業界全体へ広げていく―そのためにもまずは当社の基盤を固め、利益はスタッフに還元しながら、さらに仲間を増やしていきたいですね。10年後には子どもたちが「軽貨物ドライバーになりたい」と言ってくれるような人気職業にできるよう、今後も走り続けます!

GUEST COMMENT

嶋 大輔

若くエネルギッシュな平賀社長の奮闘に共感する仲間が増えれば、軽貨物運送業界の改革も加速度的に進むことでしょう。多くの困難を乗り越えられてきた平賀社長の人生は、まさにこれからが躍進のとき。この先もぜひ、その頼もしい背中をスタッフの方たちに見せながら、会社を成長させていってください。


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