インタビュー

製造・技術

株式会社 谷平工業

祖父の代から続く(株)谷平工業の長男として生まれる。学業を終えると防水や自動車関係の仕事に携わる。「いずれは家業へ」という意識を持ちながら働いていたものの、2代目である父が急死。想定より早く事業を引き継ぐことになる。それでも持ち前の前向きさと積極的な営業で見事に経営を立て直し、新規の取引先も獲得。現在は鉄道部品や建設機材部品など幅広いジャンルのものづくりに対応している。

株式会社 谷平工業
住所 〒344-0015
埼玉県春日部市赤沼1022-1
URL http://www.tanihirakogyo.net/

金属を加工・溶接し、さまざまな部品をつくる製造業を営む(株)谷平工業。100余年の歴史ある会社を守る3代目の谷平社長は、自らの足で経営危機を乗り越え、新たな活路を切り拓いてきた。困難の中でも仕事を楽しむ同氏の哲学に、タレントの矢部美穂さんが迫った。


危機脱却と基盤再生の歩み

矢部 こちらは長く続く老舗の部品製造会社だとうかがっています。まずは、谷平社長が3代目に就任されるまでの経緯からお聞かせいただけますでしょうか?

谷平 この会社は祖父が立ち上げ、かつては自転車から清涼飲料水のラベル、医療器具やジェットコースターのブレーキに至るまで、多種多様なものづくりに携わっていました。私も幼い頃から工場で遊んでいて、祖父には「お前もいずれ社長になるんだぞ」と言われていたので、何となく意識はしつつも、学業を終えてからは防水や自動車関係の職に就き、別の業界で社会経験を積んでいたんです。

矢部 なるほど。すぐに家業に入られて修業、というわけではなかったのですね。

谷平 ええ。祖父の後には2代目として父がいましたし、私自身も「そのうち戻ろう」という気持ちでいました。しかし、時代とともに少しずつ受けられる仕事が少なくなっていき、会社の規模も縮小せざるを得なくなって。そんな折、父が何の前触れもなく心筋梗塞を発症して65歳で急死してしまったんです。

矢部 それはおつらい経験をされましたね。では、引き継ぎの準備もなく、いきなり家業を継がれることになったと。

谷平 はい。しかも、会社は経営難に陥っていて、大きな負債も抱えている状況でした。正直、このまま事業を畳むという選択肢も考えたのですが、工場を見回った際に、祖父の代から使い続けている機械が目に入ったんです。製造年を見ると私が生まれた年と同じでした。その瞬間に「自分にはこの会社を守る使命があるんだ」と感じ、すべてを背負って再スタートする決意を固めたのです。

矢部 胸が熱くなるエピソードですね。社長の男気を感じます。とは言え、ゼロどころかマイナスから事業を立て直されるのは簡単ではなかったはず。どのような方針で行動していかれたのですか?

谷平 基盤からつくり直すつもりで、私が自ら企業様のところへ赴き、営業をしました。1日に10社ほど飛び込みでごあいさつにうかがい、自分たちにできることをアピールし、その中で出てきたご要望があればその場で図面を描いてご提案をする。そうして、とにかく無我夢中で顧客開拓を続けました。最初は結果が出ずに苦労したこともあったものの、「どうせなら開き直って楽しんでやろう」と前向きな気持ちでアプローチを続け、少しずつ新しい取引先を獲得していったんです。おかげさまで、何とかかつての経営危機は脱し、私の代からのお得意様も増やすことができました。

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