20歳のときにバイク事故に遭い、4ヶ月入院する大ケガを負う。退院後の2001年、親友が急死してしまったことから心身が不安定になり、一時は起き上がれないほど容体が悪化。あるとき、気導術と出合い施術を受けたところ症状が劇的に改善したため、自らと同じ思いをしている人を助けるべく、施術家になることを決意。修業を積んで、「うつみ療整院」を開院した。
うつみ療整院 | |
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住所 | 〒114-0003 東京都北区豊島8-15-4 バームステージ王子神谷902 |
URL | https://utsuryo.com/ |
患者の自然治癒力を高める気導術と、国際治療リハビリテーションの分野で信頼度の高いVIM療法を取り入れ、多くの患者を症状改善へ導く「うつみ療整院」。内海院長が施術家を志すまでの半生と、そこで形成された強い信念について、タレントの水野裕子さんが深く掘り下げる。
親友の死と体の不調を乗り越えて
水野 まずは、内海院長の歩みからお聞かせいただけますか?
内海 私は19歳で宮城県から上京しました。その1年後、バイクで大きな交通事故に巻き込まれてしまって。損傷した踵を修復するべく大手術をし、4ヶ月間入院することに。ただ、入院中には毎日、誰かにお見舞いに来てもらう中で人の温かさを再認識できました。特に、両親や兄の献身的なサポートがあったからこそ、今の自分がありますので、とても感謝しています。退院後には自分を常に気にかけてくれる親友もでき、立ち直っていきました。ところが、今度はその親友がある日急死してしまったんです。それで、私はちょうど仕事も忙しい時期だったため、心身のバランスを崩してしまいました。一時は体も起こせないような状態になってしまったんです。
水野 失意の底から再起できたきっかけは何だったのでしょうか?
内海 あるとき、これまで受けたことのない施術を試してみたところ、それから1週間、元気に過ごせました。その施術こそが、気導術だったんです。あまりの効果に「同じように苦しんでいる人を助けたい」という思いが芽生えましてね。何の知識もない状態で日本気導術学会の門戸を叩いたんです。
水野 なるほど。ご自身の症状が完治しない中で、人のためになりたいという気持ちも強くなっていかれたのですね。実際に始められてみて、いかがでしたか?
内海 正直、最初はプロ集団の中に1人だけ素人がいるという感じで、施術をするたびに手汗が止まらなくなるほどでした。しかし、気導術学会の鈴木眞之会長や鈴木貴樹本部長をはじめ、講師の先生方や多くの仲間たちに助力をいただきながら、一歩ずつ技術を磨いていったんです。そのほかにも、大阪の岸和田でヒーラーとしてご活躍されていた浄心庵の長尾弘先生は、実際にお会いする中でたくさんの学びを与えてくださいました。先生方、出会った患者様に助けていただき、成長することができたんです。そうして活動を続けるうち、「もっとバージョンアップしながら、オリジナルの施術を提供したい」と考えるようになったことから、この「うつみ療整院」を開いたんです。
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