郵便局に勤務した後、自動車販売店に転職する。営業職に携わるものの、社会の矛盾を感じ25歳で教育業界に転身。通信制高校の臨時講師と学習塾の講師をかけ持ち、自ら大学の通信コースで学ぶも、体を壊してしまう。拾ってくれた大手学習塾で役員に「自分の教室がほしい」と直訴し、(株)花咲スクールを立ち上げた。
株式会社 花咲スクール | |
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住所 | 〒347-0016 埼玉県加須市花崎北1-10-1 |
URL | https://hanasaki-school.com/ |
社会の矛盾を正すため、教育業界に飛び込んだ熱き男。それが(株)花咲スクールの大坪智幸社長だ。反骨精神の塊で言い訳をよしとせず、有言実行で実績を積み上げて、大手学習塾から独立。その一貫した姿勢にタレントの水野裕子さんも「頼りになる」と太鼓判を押していた。
社会の矛盾を感じ教育業界へ
水野 今日は学習塾を手がける(株)花咲スクールの大坪社長にお話をうかがいます。以前は別の業界にいらしたとか?
大坪 はい。私は大学卒業後、民営化されたばかりの郵便局に就職しました。しかし、さまざまな提案が上司に認められず悩む日々を送っていました。そんなある日、配達中に急な豪雨に遭い、木の下で雨宿りをしていたとき、もっと社会勉強しなければと思い立ったんです。そして私は、自動車販売店に転職しました。しかし、チャイムを押しても門前払いばかりという過酷な環境でさらに社会の矛盾を感じ、自分のように引け目を感じる人をなくすには、教育の世界に飛び込むべきだと決意したんです。
水野 ご自身の生き方そのものが、教育を考えることにつながったんですね。
大坪 おっしゃるとおりです。そのような経緯から私は学習塾の講師になり、やがて通信制高校の臨時講師も務めました。同時に、教員免許を取得するべく、大学の通信コースに入学したんです。ただ、朝から夕方まで通信制高校の講師、そして夜は塾の講師をしながら大学のレポートを書く生活には体力面で無理がありました。2年後、肺炎を患ってしまい、志半ばで大学も講師も辞めることになってしまったんです。ところが、そんな私を拾ってくださる大手学習塾がありました。私はその塾の講師になり、やがて大きな転機を迎えることになったんです。
水野 その転機について、ぜひ詳しい内容を知りたいですね!
大坪 もともと私は反骨精神が強く、生徒たちにも自主性を引き出す指導を心がけていたんです。そんなある日、役員面接で将来の希望を聞かれた私は、「自分にこの教室をください」と直訴しました。「君はなかなかおもしろい」と話に乗ってくれた役員の方は、閉鎖する予定だった教室を私に任せ、チャンスをくださったんです。それから1年後、募集実績で成果を上げ生徒も全員希望どおりの学校に合格させることができました。この結果を受け、教室を譲ってくださいました。実は、その教室こそ当スクールなんです。
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