インタビュー

建築

Kima.tech

苦しい家計事情の家庭で生まれ育ち、いずれ社長になって豊かな暮らしを手に入れたいという強い気持ちを抱く。学業修了後は大手家電量販店に入社し、配送業務を経て売り場仕事に携わる。あるとき、業務用エアコンの取り付け業を手がける知人から誘いを受け、空調設備工事業界に転身。2012年に独立を果たす。現在は「Kima.tech」の代表として、良質な空調設備工事業を展開している。

Kima.tech
住所 〒601-1443
京都府京都市伏見区小栗栖岩ヶ渕町26
URL https://www.kima-tech.com/

京都市伏見区を拠点に、全国の空調設備工事を請け負っている「Kima.tech」。入念な打ち合わせにより顧客の要望をかなえながら、配管の美しさにもこだわる良質な施工を手がけている。近年は若手職人が成長し、活躍するためのバックアップにも力を注ぐ。そんな独自の経営ビジョンを掲げる代表の木俣氏に、元ボクシング世界王者の西岡利晃さんが話をうかがった。


逆境をはねのけ独立開業

西岡 こちらは空調設備工事を展開する会社だとうかがっています。まだお若い木俣代表は、早くから起業を意識されていたのですか?

木俣 はい。というのも、幼少期の暮らしはお世辞にも裕福とは言えないものでした。家族全員の1ヶ月の食費は2万円程度、学校の友人がおもちゃやゲームの話をしていてもほとんど参加できず、悔しい思いをすることが多かったんです。それで、小学校高学年くらいのときには、「将来は企業の社長になって、絶対に裕福な暮らしをするんだ」と心に決めていました。

西岡 なるほど。厳しい生活環境の中で、それでも悔しさをバネにして前を向こうとされていたのですね。

木俣 ただ、当時の自分が不幸だったとは思っていません。子どもたちのために両親は懸命に頑張ってくれましたし、特に母は自分のことを顧みず家族の食費を工面したり、私が中高で野球部に入ってからは朝早くに起きて弁当をつくってくれたりしたので、本当に感謝しています。そんな母を楽にしてあげたいという思いも、自分の歩みを後押ししてくれました。

西岡 では、そこから実際に起業されるまでの道のりについては?

木俣 実は、親戚に消防士が多かったこともあって、一度は公務員になることも見据えて専門学校に入学したんです。しかし、やはり通い続けるうちに「自分は安定した環境にいるよりも、何かにチャレンジするほうが向いている」と結論が出ましてね。卒業後は、社会経験を積むべく大手家電量販店に入社しました。そこで数年携わっていたところ、当時から空調工事事業を手がけていた地元の先輩から「一緒にやらないか」と声をかけてもらったんです。それがきっかけで、この業界に足を踏み入れました。

西岡 職人の世界は肉体的にかなりハードなイメージがあります。未経験の状態から飛び込まれて、苦労されることもあったのではないでしょうか?

木俣 確かに、技術的に覚えなければならないことは多々ありました。それでも、仕事自体は非常におもしろく、朝から夜まで現場に出続けていてもまったく苦になりませんでしたね。それで、「これは自分に向いている」という確信を持てたことから、空調工事事業で独立する決意をしまして。当社を立ち上げたんです。

西岡 ご自身で最も適性があると実感できた世界で、念願だった“社長になる”という夢を実現されたのですね。いざ事業をスタートされてみて、直後の手応えというのはいかがでしたか?

木俣 軌道に乗るまでは、声をかけてくれた先輩が本当によく助けてくださいました。おかげさまで、スムーズに人脈や活動範囲を広げることができましたよ。たまたま工場関係の大きな案件が入ったこともあって、起業して最初の利益が300万円も出たときは心から嬉しかったですね。その後もたくさんの方たちに支えられながら、今日まで歩んでこれました。お世話になった皆様には、感謝してもしきれないと思っています。

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