明治大学在籍中からフェンシングに親しみ、1965年インカル・サーブル団体優勝の経験を持つ。大興電子通信(株)(二部上場)に勤務する傍ら、フェンシング選手としての活動も続ける。50歳のときに、清掃業の必要性に着目し、独立して(有)サカエサービスを創業した。
有限会社 サカエサービス | |
---|---|
住所 | 〒132-0035 東京都江戸川区平井2-25-10 |
TEL | 03-5628-9521 |
FAX | 03-5628-9522 |
(携帯 090-4611-3807) | |
URL | http://www.annaiban.net/212/sakae/ |
sakae-okudera0811@softbank.ne.jp |
内山 奥寺社長は、現役のフェンシング選手としてもご活躍されているそうですね。
奥寺 ええ。私は明治大学工学部を卒業し、1964年の東京オリンピックで全日本フェンシングチームの監督として活躍し、東京フェンシングスクールの設立者でもある飯田雄久さん(明治大学フェンシング部監督)に厳しく指導していただきました。
内山 大学を卒業した後もフェンシングに注力していらっしゃったのですか?
奥寺 はい。卒業後は通信商社に就職してSE職に就いたり人事部管理職を経験しながら、フェンシング選手だけでなくコーチとしても活動していました(元明治大学フェンシング部助監督)。どんなに仕事が忙しいときでも私は、剣を持ち続けてきたんです。その結果、全日本選手権大会には13回出場し、1967年の埼玉国体では入賞し東京ユニバーシアードの候補になりました。また、世界ベテランフェンシング選手権にも16回出場しております。
内山 多くの大会に出場してこられたのですね。心に残っている大会があれば教えてください。
奥寺 2007年にシドニーで開催された世界ベテランフェンシング選手権が印象的でしたね。そのときには「ロシアの帝王」と呼ばれる強豪を1本勝負で破り、エペで8位入賞しました。娘が応援に駆けつけてくれて、「世界の奥寺、頑張れ!」と観客席から声をかけてくれたんですよ。それを機に、私は“世界の奥寺”と呼ばれています。また、その娘が私へのサプライズプレゼントと称し、現地で結婚式を挙げたのも良い思い出です。
内山 素敵なエピソードだと思います。ちなみに社長はどのような経緯で御社を立ち上げたのでしょうか?
奥寺 50歳のときに、気力と体力があるうちに「第二の人生」を開拓しようと考えて前職を退職し、当社を立ち上げたんです。清掃業の経験はなかったので、独立当初は苦労することもありました。しかし、フェンシングで鍛えた肉体と精神力で乗り越え、今日まで続けることができたんです。
内山 やはり、社長の人生を支えてきたのはフェンシングだったんですね。
奥寺 そうですね。かつて私について取り上げていただいた記事や、大会で入賞した際に得た盾やトロフィを見ると勇気が湧いてくるんですよ。
内山 そんな社長のこれからのご活躍がとても楽しみです。“世界の奥寺”として、経営者として、頑張り続けてくださいね。
奥寺 はい。私は、いずれ世界で始まる80歳以上のフェンシング大会でメダルを取りたいと思っています。その姿を、同世代の方々に見てもらい、元気をお届けしたいんです。そして、今後も私は“人生は一度きり”ということを念頭に置き、邁進し続けてまいります。

GUEST COMMENT
内山 高志
笑顔を絶やさずインタビューに答えてくださった奥寺社長。そんな社長を見て、夢中になれるものがあれば人は生き生きするのだと思いました。フェンシングや仕事に力いっぱい取り組んできた社長には、これからも活躍し続けていただきたいです。そして、多くの方の指針となってほしいですね。