型枠職人だった父親の勧めを受けて、10代から自身も型枠職人として歩む。経験を積んで20歳で独立、父親と縁のあった(株)砂岡組から仕事を請けるようになる。その後、一度は袂を分かつものの、10数年の時を経て関係が復活。引き合いを受けて、同社の2代目社長に就任した。

株式会社 砂岡組 | |
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住所 | 〒188-0001 東京都西東京市谷戸町1-15-12 |
TEL | 042-458-1745 |
FAX | 042-430-9030 |
[元請け会社] | 共立建設(株)・大東建託(株) ライト工業(株) |
[協力会社] | (有)真開建設・(株)松山工務店 (有)山口工務店・(有)共成建設 (有)岡本組・(株)小路永工務店 (株)孝平工務店・(株)西元工務店 (株)テクノコントロール・(有)山旺興業 |
(株)砂岡組の2代目を担う髙瀬社長
は、かつて同社に関わる一介の型枠職人だったが、現在は会社の長として、20人近い個性派職人を束ねる経営者だ。組織を率いる術や今後の展望について、野球評論家の駒田徳広さんが伺った。
決別と再会、事業承継まで
駒田 髙瀬社長
は(株)砂岡組の2代目だと伺いました。まず、社長に就任されるまでの経緯からお聞かせください。
?瀬 元々、私は20歳そこそこで型枠職人として独立していました。砂岡組の先代は、当時まだ若かった私に現場を回してくれた、非常に恩のある方です。ただ、8年ほど続いたその関係は、意見の食い違いから一度、消滅しています。
駒田 それは何があったのですか。
?瀬 当時、私は部下として外国人を雇用していました。しかしあるとき、そのことを反対されてしまい、私は彼らと一緒でないなら仕事はできないと伝え、砂岡組と決別したのです。その後は大手建設会社の下請けとして、様々な現場で仕事をしました。当時の経験や、出会った経営者から学んだ人との接し方などは、とても今に生きていると思います。
駒田 では、そこから砂岡組と復縁したのは、どういう経緯だったのでしょう。
?瀬 リーマンショックが起きて仕事量が大きく減った頃、10数年ぶりに砂岡組を訪れた時のことです。相手も仕事がなかった時期だったと思いますが、先代はすぐに案件を用意してくれました。しかし金銭面の折り合いが付かず、私はその仕事を断ってしまったのです。
その後、何とか仕事量が持ち直してきた頃に、砂岡組の先代から「跡取りがいないから会社を引き継いでほしい」と連絡があったのです。恩のある方ですから、私も先代のサポートを条件に社長を引き受けました。今は顧問として、営業活動などを助けてもらっています。
駒田 しかし先代も、一度は自分のもとを去り、仕事も断るという髙瀬社長
によく社長を任せましたね。
?瀬 仕事を断った際、私は「職人を殺すわけにはいかない」と言っています。やはり職人には、相応の単価の仕事をさせてあげたい。そうした思いが伝わっていたのかな、と思っています。