コラム

シネマでひと息 theater 2
良質な映画は観た人の心を豊かにしてくれるもの。それは日々のリフレッシュや、仕事や人間関係の悩みを解決するヒントにもつながって、思いがけない形で人生を支えてくれるはずです。あなたの貴重な時間を有意義なインプットのひとときにするため、新作から名作まで幅広く知る映画ライターが“とっておきの一本”をご紹介します。

皆さまは「長回し」や「ワンカット撮影」をご存知ですか? ひと昔前までは映画ファンの間だけで盛り上がっていたこの言葉も、社会現象を巻き起こした『カメラを止めるな!』(2017)によって、今ではかなり一般的に知られるものとなりました。

簡単に説明しますと、これはすなわち、撮影をスタートさせたらカットや編集を一切入れず、カメラを回しっぱなしの状態でワンシーンをひと息で撮り終える手法のことです。古くはサスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックの『ロープ』(1948)などで用いられ、近年では戦争アクション大作『1917 命をかけた伝令』(2019)の“ワンカット風撮影”(実際にはカットの継ぎ目をCGなどで処理)も話題になりました。いずれにしても長回しは、一つ間違えると、最初から撮り直し。すべての段取りが周到でなければならず、俳優もセリフを頭に入れた上で、手持ちカメラとダンスを踊るかのように動きの呼吸を合わせなければなりません。そうした手間隙かけた準備の結果、臨場感がビリビリと伝わる迫真の映像が生まれるわけです。

*90分間切れ目なしのレストランムービー

今回ご紹介する『ボイリング・ポイント/沸騰』は、製作規模的にはそれほど大きくありませんが、その代わり超絶技法の味わいを堪能できる逸品です。舞台はロンドンの人気高級レストラン。クリスマス直前とあって店内は多くのお客さんでにぎわい、彼らに少しでもおいしい料理を提供しようと厨房の中はスタッフが右に左にと慌ただしく立ち回っています。

ただし、主人公のオーナーシェフ、アンディ(スティーヴン・グレアム)にとってこの日はまさに人生最悪とも言える一日で、開店前にやってきた衛生管理局員からは「問題あり」と指摘され、お店のスタッフ間の連携は相変わらず悪く、個々のモチベーションもバラバラ。いざ開店すると、癖のあるお客さんからクレームが入るわ、次々とミスが露見するわ、揚げ句の果てには知人のグルメ評論家がサプライズで来店するわで、切迫感に拍車がかかっていきます。

*ワンカット撮影とビジネスの現場は似ている

ここで注目していただきたいのは、本作が90分に及ぶ驚異の長回しによって撮られているという点。つまり、切れ目なし、CGや編集なしの正真正銘ワンカットです。想像してみてください。撮影に使用されたのは、ロンドン市内に実在するレストラン。客席や厨房も決して広くはありません。その限られた空間の中でキャスト一人ひとりが無駄なく動き、カメラマンもさまざまな障害物をギリギリのところですり抜け、乗り越えながら、おのおのの表情や料理人たちの無駄のない手さばきをベストなポジションで活写していくわけです。

もちろん、これを長回しで撮りあげた技術力もすごいのですが、むしろ重要なのはそれを駆使して表現しようとした目的であり、本質でしょう。すなわち、お店が開店すると、そこはもう“待ったなし”の連続。何か間違いが起こったとしても、皆で協力して何とか荒海を乗り越えていくしかない――。そう、ピンとこられた方も多いはず。ワンカット撮影とビジネスの現場はどこか似ています。飲食業にとどまらず、それこそあらゆるお仕事に共通する「走り出したら止まらない」現場の空気が、この映画では実にリアルかつ濃密に醸成されているのです。

*経営と現場、2つの舵取りを担う主人公

一般的な映画ファンならば、この物語にハラハラしたり、知られざる厨房の世界をのぞき見るワクワク感が先行したりするかもしれません。ですが本誌読者の皆さまの中には企業を率いている方も大勢いらっしゃるでしょうし、もしくは主人公アンディの“オーナーシェフ”という立場と同様、お店の経営と現場の統率を一手に担っている場合も少なくないはずです。そういう立場で長年手腕を奮っておられる方にとっては、もしかするとアンディのレストランが危機的状況に追い込まれている理由が瞬時におわかりになるかもしれません。

90分間、リアルタイムで紡がれていく映像からは、まさに隠しようのないむき出し状態だからこそ、事業としての問題点、スタッフの資質や調整力、はたまたアンディ自身がビジネスに影響を及ぼすほどの個人的な悩みを抱えている様子が感じ取れます。と同時に、この飲食業の生々しい現場をぐるりと取り囲んでいるのは、映画製作という名の“もう一つの現場チーム”なわけで、この二重構造が巧みに作用しあってスリリングな作品世界を生み出していることもまた、私たちの心を熱く沸騰させてくれるポイントなのです。

とはいえ、満席でにぎわう店内や、一品一品に表情をほころばせるお客さんの姿、そのすべてに目を配って機敏に立ち回るスタッフを見つめながら、無性にこみ上げてくるのは純粋なエールの気持ちでした。コロナ禍の影響からいまだに立ち直れずにいる飲食店が一体どれほど数多く存在することでしょう。少しでも早くコロナ前のにぎやかなレストランの姿が再興できることを祈りつつ、アンディを始めとする世界中で奮闘するシェフやスタッフの方々に、心から尊敬の念を捧げたいと思います。

《作品情報》
『ボイリング・ポイント / 沸騰』
2021年/イギリス/95分
製作・監督・脚本:フィリップ・バランティーニ
出演:スティーヴン・グレアム、ヴィネット・ロビンソンほか
7/15(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開
 
一年で最もにぎわうクリスマス前の金曜日を迎えたロンドンの人気高級レストラン。この日、オーナーシェフのアンディは妻子と別居しストレスで疲れきっていた。仕事に集中できず、衛生管理のチェックや食材の発注を怠った彼は、因縁深いライバルシェフのアリステアとグルメ評論家の来店にもプレッシャーを受けていく。
 
© MMXX Ascendant Films Limited
 
 
《著者プロフィール》
牛津 厚信 / Ushizu Atsunobu
 
77年、長崎県生まれ。明治大学政治経済学部を卒業後、映画専門放送局への勤務を経て、映画ライターに転身。現在、映画.com、CINEMORE、EYESCREAM、Movie Walker Pressなどでレビューやコラムの執筆に携わるほか、劇場パンフレットへの寄稿や映画人へのインタビューなども手がける。

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